美川憲一「YouTuberで稼ごうとは考えていないから」/ガタガタ言わせろ!(1)

 皆様、ごきげんよう。美川憲一です。今回は、SNS(ソーシャルメディア)との付き合い方について、ガタガタ言わせてもらおうかしら。

 今や、いろんな種類のSNSがあるけど、私が「時代に乗り遅れてはいけない!」と、最初にスタートさせたのがインスタグラムでした。

 次に始めたのが、ブログとYouTube。「美川憲一のおだまりチャンネル」というYouTubeでは、「さそり座の女」にちなんで、さそりを食べさせられたり、超激辛料理にもチャレンジしたけれど、自分ではまったく過激な挑戦をしたとは思っていないの。何でも楽しめる性格だから。他にも、YouTubeでは「悩めるあなたへ人生がときめく今日の美川ワード」というコンテンツもあり、若者の人生相談に乗ったり、TikTokでは、イマドキの音楽に合わせて踊ったりなんてこともしています。

 でも、YouTubeはファンの方々になじんでいただくまでに時間がかかったわ。撮影スタッフの声と笑い声が大きすぎて、視聴者の皆さんからたくさんのクレームをいただいたことがあったの。スタッフのうちのたった1人なんだけど、しゃべり声も笑い声も格段に大きいのよ〜。「私の声がさえぎられてしまうほどうるさい」というコメントもあるけど、ただ、「あの笑い声を聞くと元気が出る」という意見もあって‥‥。

 私も、それなりに注意はしたのよ。「ちょっとあなた! あまり大きすぎる声で笑っちゃダメよ。けっこう、否定的な投稿が来ているんだから」と。

 本人は「すみません」と何度も謝罪して猛反省。ずいぶん落ち込んでしまったようで、それ以来、撮影中も静かになってしまったの。

 一度だけ説教はしたものの、おとなしすぎる彼を見ていると寂しくて(笑)。彼は、私のYouTubeを盛り上げるためにしていただけだから、番組をご覧になってくださっている方々は、どうぞご容赦くださいね。

 YouTubeの「更新頻度が少ない」という声もいただいております。歌手としてのスケジュールが詰まっていて、手が回らない状況なの。化ける(PV数が増える)とすごいことになるのはわかっているんだけど、手間がかかるから、気楽にマイペースで続けていきたいと思っていて。だって私、YouTuberとして稼ぎたいとは微塵も考えていないから。

 なぜかというと1966年、私が20歳の時。「柳ヶ瀬ブルース」という曲が大ヒットして以降も売れて、さんざん稼いだからよ。昭和時代に運転手を雇って、ロールスロイスを2台、リムジンにも乗って、贅沢はしてきたから。いまさらガツガツ稼ごうとは思わない。

 若い頃は「鼻持ちならないヤツ」と評されたかもしれないけれど、そういう時期はだいぶ前に通り過ぎました。

 今、移動に使っている車は、「荷物がたくさん入れられて必要人数が乗れたらいい。高級車である必要は全然ない」と思って選んでます。そしたら、「うちの車と同じ車種がいっぱい走っているわ」という現実に遭遇し続けているけど。

 他の仕事とも共通すると思うけれど、芸能界も長く続けていればいいってもんじゃない。人間性が勝負なの。突っ張っているだけが能じゃないし、私は構える姿勢には疲れたわ。

美川憲一(みかわ・けんいち)歌手 1946年5月15日生まれ、長野県出身。1965年、『だけどだけどだけど』で歌手デビュー。現在、ニューシングル『別れてあげる』発売記念キャンペーンを開催中。

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