7月1日、香港返還から25周年を迎える。飛躍するアジア経済の先駆けであった香港はいま、かつてのような「熱気」はない。
その理由を述べる前に、少し香港の歴史に触れておこう。
香港は、一言でいうと“歴史に翻弄された都市”だ。アヘン戦争に敗れた清朝政府が1842年に英国に一部を割譲し、続いて1898年に、99年を期限に租借地とした。香港には「借りた場所、借りた時間」という言葉がある。借りた場所はすぐに返せるが、そこに住む香港人の時間とそれとともにある気持ちは消えないという意味だ。返還の期限(1997年)が迫ると、自由のない中国への帰属を恐れて、海外に移住する人が続出した。
だが、社会主義の中国に民主主義の香港が併存する「一国二制度」という仕組みを考え出した。向こう50年間は民主主義を堅持し、「高度な自治」が認められ、言論や集会の自由を保障するという約束で、香港人を安心させて中国への返還が1997年に実現した。
中国政府は資本主義制度の香港を窓口にして外資(ドル)を流入させ、改革開放を促進し、中国を「世界の工場」へと変貌させた。香港は“打ち出の小槌”だった。中国人は香港に憧れ、旅行で訪れ、子弟を留学させた。
ところが中国が発展し、共産党に関心を持たない豊かな世代が増えるに従い、香港から入ってくる自由な文化や人権思想は共産党の存在を脅かしはじめた。香港の人々が「我是香港人、不是中国人」(私は香港人だ。中国人ではない)と宣言して、雨傘運動や100万人デモなど民主化を求めて動くと、中国政府は弾圧を強め、香港に隣接する都市に人民解放軍部隊を移動して威嚇した。
それでも民主化運動は止まらなかった。これを習近平政府は「香港国家安全維持法」の制定という強権で抑え込んだ。
さて、7月1日に行われる返還25周年記念式典には習近平国家主席が出席する。ここで、人権弾圧を非難してきた欧米日に対し、「中国式民主主義」が優れていると「勝利宣言」をするだろう。
この日、新たに香港のトップである行政府長官に就任するのが、警察出身で、香港の民主化運動の最前線にいたメディアや活動家をことごとく弾圧したことで知られる李家超氏だ。
中国に批判的な日刊紙として知られた「リンゴ日報」事件はその象徴だ。創業者を始め編集幹部らが国家安全維持法違反で逮捕され、資産凍結などの攻撃を受け、廃刊に追い込まれた。
また、香港の中高生の新しい教科書では「香港は英国の植民地ではなく占領地である。不当な条約を元にしており、中国は一貫して主権を放棄していない」と、中国の歴史を塗り変える動きが進んだ。
一段と進む香港の中国化は、民主主義が消滅することを意味する。香港が中国に返還された当時、「国境なき記者団」は報道の自由度ランキングで、アジアで最高の18位と評価した。ところが、今年5月の発表では155位のロシア、175位の中国に近いづいて、148位となっている。
もはや、発展途上国に戻ったに等しい。このことは、中国の将来をゆがんだものにしていくだろう。世界最貧国の一つであった中国が改革開放という「革命」を成し遂げ、国際社会に仲間入りして発展できたのは、香港を通して国際感覚を持てたからだ。
その香港を中国化してしまうと、中国は世界の動きを読み取る機能が劣化するのは確実だ。
香りのよい木材が集積する港を意味した香港に、さわやかな香りが漂う日は再び来るのだろうか。
(団勇人・ジャーナリスト)