「この頃は、大きな出来事が重なった時期で、新型コロナウイルスが流行してスケジュールが真っ白になり、長年一緒に番組をやっていた志村けんさんが亡くなり、そこへきて大腸ガン。三途の川に片足を突っ込んだような状態だけど、受け入れるしかない。そう思ったら、少しずつ気持ちは前向きになっていった。俺には妻も子供もいる。90歳のトランぺッターの父親も生きていて、先に逝くわけにはいかないでしょう。次の年(21年)の4月から、コロナで1年延期されていたリーダー(鈴木雅之)のツアーに参加予定でした。何よりシャネルズ結成40周年だったので、ステージに穴をあけたくはなかった。
まずは手術可能な大きさまでガンを小さくすべく、抗ガン剤治療を始めた。XELOX療法というもので、オキサリプラチンという薬を病院で点滴し、そのあと自宅でゼローダという薬を朝晩飲むんです。最初は副作用を抑える薬も効いて、病院の帰りにメシが食えるぐらいだったから、『余裕じゃん!』なんて思っていたんだけど‥‥。
2日後、トイレで急に汗がボタボタ出て、動悸がするわで、ぶっ倒れちゃった。たまたま、その時は息子がいて、ベッドまで運んでくれたけど、『死ぬ時って、こんな感じなのかな』と思ったぐらい。病院に電話したけど、医者に言わせると『想定内』だって。それからは起き上がれなくなって、食べられないし、何かを口に入れても味がしない。手足がしびれて氷のように冷たくなる、肌はガッサガッサになって顔に湿疹ができる、毛も抜ける‥‥。それでも、ガンを切除してステージに立ちたい、その一心でした。リーダーもLINEメッセージでずっと励ましてくれて、心強かったですね」
鈴木からのメッセージには「〈負けない! お前は絶対負けないから! 一緒にステージに立たなきゃ俺たちの40周年は成立しないんだからな! いつまでも待ってるから、じっくり腰を据えて構えて手術にのぞんでくれな!〉」と書かれていたという。
「おかげで、抗ガン剤治療4クール(1クールは3週間)をなんとか耐えられた。医者も『この大きさなら手術可能』と言ってくれて、21年2月に手術することが決まった。その時は、これで4月のツアーに間に合うと思っていたんです」
摘出手術は「ダ・ヴィンチ」(内視鏡手術支援ロボット)を使った腹腔鏡下術で、ヘソから下に穴を5カ所開け、ロボットの手が入る形で行われたという。患者に負担が少ない方法であるが、14時間の大手術となった。
「手術は成功。医者が言うには『直腸のガンはきれいに取れて、リンパ節も左太腿の付け根あたりまでゴリゴリ削り取った』と。麻酔が切れた後は傷口が痛くて大変だったけど、やっぱりホッとしましたよ。でも、術後しばらくしてからトランペットを吹いてみたんだけど、音は出せても腹に力が入らない。4月のステージに立つのは無理だと‥‥。本当はガンを公表せずに、こっそり手術して復帰しちゃえと思っていたけど、それも難しい。ならばと、全てを公表することにしたんです」
桑野信義(くわの・のぶよし)1957年生まれ。80年に「シャネルズ」のトランペッターとしてデビュー。その傍らで数多くのバラエティー番組に出演するなど、コメディアンとしての一面も持つ。昨年3月に大腸ガンの手術を受けたことを公表。その4カ月後に芸能活動を再開し、昨年末の紅白歌合戦で見事な演奏を披露した。
*桑野信義「大腸ガン」からの生還を語り尽くした【3】につづく