生活だけでなく、心持ちも変わった。欲がなくなったというのか、小さいことに幸せを感じるようになった。生きているだけで幸せで、全てに対してありがたいと感じるようになった。「自分にとって、ガン闘病はそれだけ大きな経験だった」と桑野は言う。
「経験という意味では、人工肛門生活を3カ月間だけできたことは、今になってみると貴重なことでした。実は、手術前に『とにかく人工肛門だけは勘弁してほしい』と医者に頼んでいたぐらいイヤでした。術後はどうしても肛門を塞がなくてはならないから、人工肛門は避けられない。ただし、一時的なものになるか、生涯付き合うものになるかは、手術をしてみないとわからないって。だから、術後の集中治療室で目が覚めた時、真っ先に看護師さんに聞いたのが『人工肛門は左右どっちについてますか』ってこと。術前に『右なら一時的なもの、左だと一生もの』と聞いてたから。そうしたら『右です』って。ということは、また前のようにおしりから出せる可能性があるとホッとした。生きるか死ぬかの手術を受けたのに、ヘンな話だけどね。
そこから3カ月間は、3時間おきに人工肛門から出す生活でした。チューブ入りのマヨネーズとか味噌を想像してみてほしい。アレと同じように、キャップを開けてひねり出す。だから和式トイレでは不可能。洋式トイレならギリOKなんだけど、やはり専用のオストメイトがいちばん使いやすい。多目的トイレが、いかにありがたいか、身に沁みてわかりました。あそこで女性に1万円払ってヘンなことするようなヤツは、本当に許せないよ(笑)。
寝ていても3時間おきに起きなきゃいけないんだけど、まるで赤ちゃんにお乳を与えるような感覚でさ。しかも、一度も汚したことがなくて、講習の先生に褒められちゃって、最後は離れがたいような気持ちになっちゃった。あんなにイヤがっていたのに‥‥。冗談はさておき、世の中には人工肛門を付けて、たくましく生きる人がたくさんいることに気付けた。これは大きな財産になりました」
今後も年2〜3回は腫瘍マーカーや内視鏡検査で経過観察していく生活が待っているという。
「今は『頑張りません、勝つまでは』をポリシーにしている。頑張ってもなるようにしかならない。でも、絶対に諦めないぞってこと。手術の直後、全身管だらけで10日間ほど水も飲めない、寝返りも打てない間に悟りました。頑張りすぎて疲れてイヤになっちゃったら、諦めたくなるかもしれない。そうなったら本末転倒だから、諦めるほどには頑張らないのが『オレ流』なんです。
これを読んでくれている人は同世代が多いのかな。俺が言うのもおかしいけど、体調に異変を感じたら早く検査を受けてほしい。とにかく目を背けても逃げられない。だったら、恐れずに自分の体と向き合うしかないんだからね」
桑野信義(くわの・のぶよし)1957年生まれ。80年に「シャネルズ」のトランペッターとしてデビュー。その傍らで数多くのバラエティー番組に出演するなど、コメディアンとしての一面も持つ。昨年3月に大腸ガンの手術を受けたことを公表。その4カ月後に芸能活動を再開し、昨年末の紅白歌合戦で見事な演奏を披露した。
*「週刊アサヒ芸能」3月31日号より