卑弥呼の墓についた「赤面の名称」/今から始める古墳入門(2)

 歴史家の河合敦氏は、大仙陵古墳などの巨大古墳は天皇や天皇の近親者、もしくは有力豪族の墓として、その権力や権威を誇示すべく造られたと断言する。

「前方後円墳がどっと出てくるのは、大和の纏向(まきむく・奈良県桜井市)という古代集落遺跡のあるところです。ここに、わが国最古の巨大前方後円墳と言われる『箸墓(はしはか)古墳』がありますが、これ以降、前方後円墳という形が大和を起点に、どんどん全国に広がっていきます。大和政権(ヤマト王権)に服属した豪族が、同じ前方後円墳を強要されたか、率先して造ったのは、たぶん間違いない」

 河合氏は古墳の役割について、

「5世紀には、大阪平野に巨大な前方後円墳が造られるようになりますが、大和政権がここに拠点を移した証拠です。特に大仙陵古墳などは、わざと大阪湾からその巨大な姿が見えるように造っていたと思われます。朝鮮半島など外国や地方から豪族が船で来航した時に、大王の権威・権勢を誇示するためだったと思われます」

 さらに、河合氏は続ける。

「神戸にある『五色塚古墳』などは、神戸の丘の上にあって海からはっきりと見えますから、被葬者はわかりませんが、この地域の豪族が権威を見せるために造っているのがわかります。今あるのは、復元されたものですが、石を敷き詰めた迫力あるもので、造られた当時の古墳がどんな姿だったのかもよくわかりますし、築造当時でも相当の財力と権力がなければできないものだと実感できます」

「古墳時代」と呼ばれる時代区分を覚えている読者も多いだろう。その時代の範囲も研究が進み、微妙に揺れていると、河合氏は言う。

「大きな丘をもつ墳墓(ふんぼ)、つまり古墳があった時代を歴史学では『古墳時代』と呼んできたのです。ところが近年、弥生時代に70メートルを越えるような巨大な墳丘墓(ふんきゅうぼ)があったことが確認されて、古墳時代の定義をどうしたらいいのかという議論があり、結果的には、いわゆる〝鍵穴〟のような形をした『前方後円墳』が造られた時代、つまり3世紀半ばから7世紀、あるいは8世紀の初め頃までを『古墳時代』とするということになっています。したがって弥生時代の巨大な墳墓は、単に『墳丘墓』として、古墳とは区別しているのです。教科書的には、聖徳太子や天武天皇の時代は飛鳥時代とか白鳳時代と言ったりしますが、それを全部含めて古墳時代なのです」

 日本で最初に出現した巨大な前方後円墳と言われるのが「箸墓古墳」だ。ヤマト王権の歴代大王の初代の墓とみられていたが、一方で昔から「箸墓古墳」は、あの邪馬台国の卑弥呼の墓ではないかという説が存在している。ちなみに「箸墓」の名は記紀などに伝わる「倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)」の陰部に箸が突き刺さり、絶命したことが由来と伝わる。なんとも赤面する名称だ。

 邪馬台国がどこにあったのか、もともと、「日本書紀」が卑弥呼を神功皇后(じんぐうこうごう)としたことから、邪馬台国は大和の朝廷と考えられていたが、江戸時代に新井白石と本居宣長が九州説を唱えて以来、様々な地域が論争に加わり、現代に至るまでかまびすしく議論が戦わされているのである。

「箸墓古墳の濠から出土した土器に付着していた炭化物を放射性炭素を用いた調査をしたところ、ちょうど邪馬台国の卑弥呼の時代とぴったりと合ったというので、『箸墓古墳』は、やはり卑弥呼の墓ではないかという説が有力になっています。3世紀あたりに始まる当時国内最大の集落跡と言われる纒向遺跡は、邪馬台国=畿内説を裏付ける有力な遺跡とも言われています。しかし、そうなると卑弥呼は古墳時代の女王ということになってしまって、そこにも論争が起こっています」(河合氏)

 日本史の最大のミステリーとも言われる「邪馬台国はどこか論争」は、考古学者、歴史家ばかりか、一般の人まで加わって、果てしない議論が続いている。

「古墳をゆるく楽しく愛でる」をモットーに「古墳にコーフン協会」を立ち上げ、会長も務めている古墳シンガーの「まりこふん」は、こんなユニークな古墳の見方を語る。

「私は誰のお墓かということより、古墳がカワイイと感じるかどうかが最大のポイント。箸墓古墳は女性的な優しさのようなものを感じさせてくれる大好きな古墳なので、卑弥呼の墓だったらいいなという気持ちはありますけど。私は古墳祭りやイベントにシンガーとして呼ばれることが多いのですが、各地に必ず〝ご当地卑弥呼〟がいるんです。おらが村の卑弥呼、おらが邪馬台国、それはそれでいいんじゃないかなと(笑)」

 歴史学的な論争には与しない姿勢だ。

河合敦(かわい・あつし)65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。近著:「絵画と写真で掘り起こす『オトナの日本史講座』」(祥伝社)。

河野正訓(かわの・まさのり)81年、山口県生まれ。東京国立博物館主任研究員。明治大学で考古学を専攻し、京都大学大学院の考古学専修。博士(文学)。専門は古墳時代の考古学。

まりこふん 古墳への愛を歌う古墳シンガー。2013年に「古墳にコーフン協会」を設立、会長を務める。著書に、「まりこふんの古墳ブック」(山と渓谷社)、「古墳の歩き方」(扶桑社)がある。

*「週刊アサヒ芸能」9月9日号より

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