北朝鮮の国会に当たる最高人民会議の常任委員会総会で、違反薬物の取り締まりを強化する法律が採択されたのは今月1日のこと。とはいえ、北朝鮮の刑法には、以前から違反薬物の密輸及び取引罪や、栽培製造罪などが設けられており、使用で5年以下の労働鍛錬刑が科されるほか、製造と密輸の最高刑は死刑だとされている。つまり、すでに極刑が下される法律がある中で、なぜ新法の施行が必要だったのか。その背景を北朝鮮の事情に詳しいジャーナリストはこう語る。
「北朝鮮では故金正日総書記の指示により、90年代から外貨獲得のため、国を挙げてケシの栽培などを行ってきたといわれています。こうした薬物売買と武器売買などの不法行為で得た収入は、年間約5億ドル(約550億円)に上り、その利益は最高指導者の金総書記と一部エリート層の資金源になっていたとされる。ところが、国境を接する中国当局の取り締まりが強化され、また経済制裁の長期化もあり、製造した薬物が行き場を失ってしまった。さらに、不足する医薬品の代用品として使われたことで、一般庶民が容易に手にできるようになり、あっという間に中毒者が急増してしまったというわけです」
結果、市中における薬物汚染は驚くほどのスピードで拡大、韓国当局による脱北者への聞き取りでも、「住民の7割は”クスリ”の経験者がある」という驚きの証言が出るほど深刻化。
「つまり、従来の法律では取り締まれず、一般人を対象にした法律を施行せざるを得ないところにまで、状況が追い込まれているということでしょう」(前出のジャーナリスト)
そして、北朝鮮国民をクスリに走らせる最大の原因は「国家に対する絶望」というのが、元韓国特派記者だ。
「北朝鮮の劣悪な医療環境はよく知られることですが、『北韓人権白書2020』によれば、北朝鮮にある診療所は、大半が薬剤不足などで機能していない状況なのだとか。したがって、病気になったら施設が整う人民病院に行かなければならないのですが、通常、MRIと腹部超音波の検査でそれぞれ20ドル、X線撮影が3ドル、問診だけで2ドルもかかる。もちろん、薬や入院費用はすべて自己負担になります。対して、粉末薬物1グラムあたりの末端価格が20ドル(約2200円)前後。北朝鮮では通常、約3回分の使用量にあたる0・1グラム単位で取引されるため、薬よりもはるかに安価で手に入る。平壌で暮らす4人家族の1カ月あたりの生活費が約100ドルといわれますから、病気しても病院にすらいけない。そうした人たちが一時の快楽を求めて、薬物に走る人が増えても不思議はない。薬物乱用の背景には、人民の貧困があるということです」
自暴自棄になる中、1回キメれば一瞬にせよ、すべての苦労も忘れられる……彼らにとって違反薬物は、そんな魔法のクスリなのかもしれないが、彼らに狙いを定めて甘い汁を吸おうとするのが流通する売人だ。
「ミイラ取りがミイラになる、という言葉通り、中毒者が金のために売人となり、その人数もネズミ算的に増えているといわれますからね。2013年に不法栽培や薬物製造罪を新設して取り締まりに乗り出したことで、一時的には蔓延が終息したこともあったようですが、わずか8年でこの状況ですから、今後も前途多難といったところでしょう」
さて、今回の新法が薬物根絶の起爆剤になるかどうか。
(灯倫太郎)