2月14日にスタートしたNHK大河ドラマ「青天を衝け」。主人公の渋沢栄一(1840年〜1931年)といえば、徳川慶喜に仕える幕臣、大蔵官僚、実業家として名を馳せた人物だ。500もの企業の設立に関わり、600の社会事業に携わったことから、「日本資本主義の父」とも称されている。
江戸、明治、大正、昭和と4つの時代を生き、ペリーの黒船来航、桜田門外の変、大政奉還、大日本帝国憲法発布、日清・日露戦争、日韓併合、関東大震災、満州事変などの大事件を目の当たりにしてきた、いわば「歴史の立会人」だ。
その生涯や功績は、さながら「聖人君子」のように語られることが多いが、彼の人物像について歴史学者はこう解説する。
「渋沢栄一は、遊郭での女遊びを繰り返し、妾がいたとも言われています。彼の日記にはしばしばフランス語の『アミ』という言葉が綴られていましたが、この言葉には『友人』と『情婦』という2つの意味があります。彼には20人の子供がいたとされ、50人の子を持ったとする説もありますが、68歳のときに妾との間に庶子が生まれた際、『お恥ずかしい。若気の至りで、つい……』と語った性豪エピソードはあまりにも有名です。また、渋沢は人生訓として『論語』(孔子とその弟子たちとの問答を集録した書)を愛読したといわれてますが、これにも理由があったとされています。たとえば、聖書は性に関する制約が多いのですが、論語にはそうした戒めがほとんど書かれていません。いわば『論語』を免罪符ととらえて、なんら負い目を感じることもなく、全力で恋愛に熱中することができたのかもしれません」
まさに「英雄色を好む」という言葉がぴったりと当てはまる偉人だが、彼の恋愛観には「美学」もあったという。
「渋沢は仕事とプライベートをきっちり分ける性格でした。彼に緊急の用があった人物が、当時渋沢がしけこんでいた女性宅を突き止めて訪れたときのこと。渋沢は妾に対して『こんなところに渋沢栄一がいるわけがなかろうに。用があるなら明日の朝にその渋沢とやらのお宅を訪れるように、客人に伝えなさい』と、まるで他人事のように追い返すよう伝えたとされています。また渋沢は、男尊女卑の考え方が強かった当時から女子への高等教育の必要性を唱えて、東京女学館や日本女子大学などの設立に関わったことからもわかるように、男女平等思想の持ち主でした。女性との関係は、地位や権力で無理強いしたものではなく、あくまで双方の合意が大前提。彼にとって恋愛は活力の源でもあり、最後まで男であることを諦めなかったからこそ、91歳まで長生きできたのでしょう」(前出・歴史学者)
今で言う女性スキャンダルネタに事欠かなかったようだ。渋沢栄一がもし現代に生きていれば、ゴシップ週刊誌の格好の餌食だっただろう。人気俳優・吉沢亮が渋沢を演じる「青天を衝け」ではどこまで彼の女性関係が描かれるのか、ファンはなおさら気になるところだろう。
(橋爪けいすけ)