ケンコバ、蛍原の元相方は極めて特殊な芸能活動を行っていた!

「バツイチ」といえば当然、1度の離婚経験者のこと。ところが芸人の場合はもうひとつ意味を持つ。コンビ解散歴のことだ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属芸人は、この“バツイチ”を経て、大きく花開いたケースが多い。

 よくあるのは、片方が売れてもう一方は鳴かず飛ばずとなり、雲泥の差がついてしまうパターン。また、売れなかった方が、特殊な芸風を獲得することも少なくない。“バツ2芸人”のケンドーコバヤシが組んだ相方も、そんなパターンだ。

 お笑い事情に詳しいフリーライターが振り返る。

「ケンコバが養成所時代、プロレス好き同士で最初にコンビを組んだのが『松口VS小林』。当時の相方は、のちに正統派漫才師・ハリガネロックとして『M-1グランプリ』決勝戦に2度も進出しているユウキロックこと、松口祐樹です。ケンコバとは95年に解散しました。その後ケンコバは、同じく同期の村越周司と『モストデンジャラス』を結成。ボケとツッコミの概念を覆した芸風は、一部マニアに大ウケしましたが、およそ5年で解散。00年、ケンコバはピンに転向しました」

 ハリガネロックは地元・関西の賞レースで輝かしい実績を残し、01年には「第4回 爆笑オンエアバトル」(NHK総合)のチャンピオン大会で優勝したが、14年に解散。松口(ユウキロック)は芸人を廃業して、養成所の講師、作家、ライターに転向した。また、ケンコバ2人目の相方である村越は、紆余曲折を経て、よしもとへUターン。4000個以上のギャグを持つ“一発ギャガー”として、出張ギャグも辞さない赤貧芸人となっている。

 雨上がり決死隊・蛍原徹もバツイチ芸人。元相方は解散後、独自の道を開拓している。

「蛍原が芸人デビュー時にコンビを組んでいたのは、コラアゲンはいごうまん。『メンズホワイト』というコンビ名でした。解散後、蛍原は宮迫博之との雨上がり決死隊がブレイク。コラアゲンはのちに、『電光石火』『I少年D』とコンビ結成しましたが、3度とも解散。1999年によしもとを退社。フリー転向後、現在のワハハ本舗に籍を移しました。現在は、体験談をマイク1本で話す、笑いあり、涙あり、感動ありのノンフィクション・スタンドアップコメディアンという独自のジャンルを確立。今なお日本中をキャリーバッグひとつで飛び回っています」(前出・フリーライター)

 ケンコバ、蛍原の元相方は、解散後もしばらくよしもとに残ったが、キレイさっぱり袂を分かった者もいる。ハリガネと同じくM-1ファイナリストになった「東京ダイナマイト」だ。

 現在は松田大輔&ハチミツ二郎だが、松田はデビュー時、「温泉こんにゃくアクロバットショー」という5人組だった。このメンバーの一員が、青木さやか。その青木が友人のハチミツを紹介して、トリオ芸人・東京ダイナマイトが誕生する予定だった。だが、青木が方向性の違いを理由に脱退。ワタナベエンターテインメントに移り、ピン芸人として成功。一方の東京ダイナマイトはオフィス北野を経て、よしもと所属だ。

 芸人がお笑いタレントとして大成したウラには、元相方の存在が大きいかもしれない。

(北村ともこ)

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