現地時間の12月10日、プロ野球名球会の総会とその報告会見がハワイのホテルで行われた。
驚きの内容もあった。入会資格を満たさないプロ野球選手、OBに対し「特別枠」を設けるという。今さらだが、名球会入りするにはピッチャーなら“200勝”か“200セーブ”の達成、バッターなら“2000本安打”に到達しなければならない。それが、古田敦也副理事長の説明によると、資格ナシでもプロ野球会に功績を残した選手であれば、名球会の会員の4分の3以上の承認をもって入会を認めていくそうだ。具体的に、上原浩治氏、五十嵐亮太氏、大野豊氏、斉藤明雄氏らの名前もあがったという。
投手の分業化などで名球会入りが困難となった現在、時代に即した大々的な組織改革と言っていいだろう。しかしこの改革案は、ある現役選手の入会を見越しての措置だったとも見られている。古巣・西武に帰還した松坂大輔である。
「11日の西武入団会見で、あと30勝と迫った名球会入りのことも質問されました。名球会を意識してというよりも、節目として松坂も日米通算200勝を達成したいようでした。ですが、現実的にはかなり難しいと言わざるを得ません」(スポーツ紙記者)
松坂が日本球界に帰還した際、最初に救いの手を差し伸べたのは、王貞治会長のいる福岡ソフトバンクだった。
「松坂に対し、特別な思い入れが王会長にはあったようです。今だから言えますが、松坂がプロ入りした最初の春季キャンプ中、王会長は西武に内々に連絡を取り、食事を共にしています。球界の未来のこと、球界を盛り上げてほしいといった思いを松坂に語り聞かせたそうです」(球界関係者)
日本帰還後、周囲の反対を押し切って獲得に動いた時も、そうだった。「松坂は将来、プロ野球界のために働くことになる」とし、そのとき、彼の所属先がソフトバンクとなることの意義を訴えた。
しかし契約の切れる3年後、支配下からいったん外して再起を待つとする球団の決定を不服とし、松坂は退団してしまった。
「松坂は200勝の達成に関わらず、早い時期に名球会入会対象者として推薦されるはず。ソフトバンクでは袂を分かった形ですが、王名球会顧問と松坂の心は繋がっていると思われます」(前出・同)
故障続きで再起した40歳になるベテランに、“ラスト舞台”を与えてくれた古巣・西武に対しても、松坂は恩返しをしなければならない。
パ・リーグに復帰したので、ペナントレース中に王会長と再会する場面もあるだろう。そのとき、松坂は名球会に近づくことができているのだろうか。両チームの激突にも注目したい。
(スポーツライター・飯山満)