前駐豪大使・山上信吾が日本外交の舞台裏を抉る!~記者と外交官~

 外交評論活動を行うようになってから、交わる人々が大きく変わってきたことを実感している。「文化人放送局」で毎週木曜日に共演している加賀孝英さんや、刺激満載の対談本「媚中 その驚愕の『真実』」を共に著した門田隆将さんらが典型だ。2人とも文藝春秋社や新潮社出身の辣腕ジャーナリストだ。

 週刊誌・月刊誌記者と外交官。普通であれば、人生の軌道が交わることはまずない。外務省時代、「週刊誌・月刊誌による取材は報道課を通じて」というのが鉄則であり、直接相対することが避けられていたからだ。

 課長、審議官、局長とキャリアを重ねるにつれ、外務省幹部が付き合うジャーナリストの大半は、外務省に設けられている「霞クラブ」に所属している「オールド・メディア」の記者となる。具体的には大手新聞社、通信社、地上波テレビ局。霞が関のどの省庁でも取っている記者クラブ制度のなせる業だ。

 退官して野に身を置いて以来、如何に自分がぬるま湯に浸かって守られていたか、理解できるようになった。というのも、外交評論を行う中で付き合う月刊誌、週刊誌、地方テレビ局、インターネットテレビなどで活躍する関係者は、官僚時代に相手をしてきた記者とはかなり趣が異なるからだ。

片や動物園で飼いならされた行儀の良い動物、もう一方は獲物を捕まえることに貪欲な野生動物と言ったら語弊があるだろうか?

 インターネットテレビや月刊誌での対談は、そういった野性を失っていないジャーナリストとの対談だからこそ、歯に衣着せず肝胆相照らすやり取りになっているのではないかと受け止めている。

 まず圧倒されるのは、その圧倒的な取材力と博識である。日中国交正常化、日朝交渉や拉致問題の舞台裏の話など、彼らでなければ語れない話ばかりだ。

 第二は、組織にとらわれない自由な思考だ。官僚時代、朝日新聞を筆頭とする主要新聞の記者からしばしば取材を受けた。熱心なアプローチ振りは、条約課長でも、茨城県警警務部長でも、経済局長でも変わらなかった。彼らに招かれた宴席では、しばしば「自分の意見は朝日の社論とは違います。個人的には山上さんの意見に共感します」などと「吐露」されることが多かった。そんな彼らは、私が役職を外れ、野に出て自由に言論活動を展開するようになると、ベストセラー本を何冊出そうとも二度と寄り付かなくなった。何のことはない、社命を負って有力な取材源に近づいてネタを取ろうとしただけであって、社論にそぐわない一評論家の意見などに関心はないのだ。

 こうした連中が石破茂総理の訪米に同行し、日本の総理大臣がトランプ大統領から散々皮肉と当てこすりの嵐を浴びせられようが、日本にとって喫緊の課題の関税引上げやウクライナ戦争を取り上げるのを避けようとも、「首脳会談は成功」と囃し立てることになる。これこそ、大半の「オールド・メディア」の実態ではないか。公正で客観的なジャーナリストというよりも、社論をプロモートするアクティビスト。だから、多くの国民が離れていく。

 こんな状態では、永田町や霞が関にはびこる媚中勢力を一刀両断するなど、到底期待できない。日本全国を講演行脚するにつれ、そうした辛口の深堀りこそ、多くの国民が求めているものだと肌身で感じてきた。だからこそ、「オールド・メディア」が事あるたびにその危険を強調するネットやSNSでの記者に頼らない発信こそ、貴重なのだと痛感している。

●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、2000年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年駐豪大使に就任。23年末に退官。同志社大学特別客員教授等を務めつつ、外交評論家として活動中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)、「超辛口!『日中外交』」(Hanada新書)、「国家衰退を招いた日本外交の闇」(徳間書店)、「媚中 その驚愕の『真実』」(ワック)等がある。

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