母校東大に招かれ、公共政策大学院で講義をしてきた。担当教授に学生の進路を尋ねたら、「以前は国家公務員の人気がありましたが、今は様変わり。代わりにコンサルティング会社が人気です」と聞かされた。
かつては、こんなことはなかった。約10年前、2年間にわたり同大学院で国際法のゼミを担当した。20名ほどの小さなゼミから5人も外務省に入省してくれたのは嬉しい思い出だ。
なぜ、これ程まで霞が関は人気を失ったのだろうか?その真っただ中で40年にもわたって刻苦勉励してきた身からすれば、理由は複合的と言わざるを得ない。
ひとつは、若者の意識、優先順位の変化だろう。
「エリートたる者、天下国家の為に働くべし」とは、明治の富国強兵以来、長らく日本社会を支配してきた空気であったように思う。だが今や、「官僚たちの夏」(城山三郎)に活写されていたノブレス・オブリージュに代わって世間を覆っているのが、ワークライフ・バランスだ。夜を徹しての国会答弁作成作業や、気の遠くなるような法案作成・根回しなど、「わりに合わない」「コスパが悪い」として敬遠する向きが増えた。
世間の目も変わった。女性店員が接客するしゃぶしゃぶ店に興じたり、機密費で競走馬を購入したりなど、世間の耳目を集めた官僚側の不祥事も預かって力あったが、「政治主導」のかけ声につられて官僚に対する「リスペクト」が甚だしく失われてきたことも間違いない。
自らのプライド、世間のリスペクトの双方が失われた職業に人が集まる訳があるまい。
第二の理由は、給与水準だ。
現役時代、国家公務員の給与だけでは子供ふたりを私学に送ることは無理であることを肌身に染みて痛感した。実家からの支援が不可欠だった。大使になるまで預金通帳の残額が100万円を超えることはまずなく、爪に火を点すような思いをしたことも一度ならずある。
こうした待遇と密接な関係にあるのが、公務員住宅の縮小削減、遠隔地化だ。都心の一等地にあるのが贅沢だと一方的に批判されて売却が進められたため、郊外の官舎に移るか、官舎から出てマンションを買うか迫られた者は引きも切らない。もともとは安月給とパッケージでの安普請の官舎住まいであった筈なのに、家賃も徐々に値上がり、昔日の大幅な割安感は吹き飛んだ。残業時のタクシー代はアップするし、緊急参集時の登庁にも余分の時間を要してしまう。こうしたマイナスは、ほとんど議論されてこなかったのではないか?
第三は、オフィス環境だろう。退官後、六本木ヒルズに所在する法律事務所に転職し、今さらながら、よく霞が関の環境に耐えてこられたと思ったものだ。就活をする学生が霞が関に惹かれることはないだろうと腑に落ちた。
だが、国家としてこうした状態を放置しておいてよいとは到底思えない。外交、国防、治安はもちろん、国家財政の管理、経済政策の舵取り等、国でなければできない仕事は厳然としてある。二線級の人材しか集まらない場合、国益を著しく損なうことは必至だ。現に、事態はそこまで悪化している。
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)がある。