まさに、稀代のアーティストとして誰もが認める明菜の実力だが、その一方でプライベートでは、様々なトラブルに見舞われてきた。その発端となったのが、デビューからわずか7年後の89年に起きた、自ら命を絶とうとしたが未遂に終わったことが明るみに出た騒動だった。長年、明菜の取材を行ったベテラン記者が振り返る。
「当時23歳だった明菜は、恋人だった近藤真彦との痴話喧嘩の末、浴室で左肘の裏を深く切り自死未遂を起こしました。半年後の大晦日に2人で謝罪会見をしたんですが、2人のバックに慶事の際に使われる金屏風が置かれていたことから通称『金屏風事件』として、芸能界でも有名な大スキャンダルとなりました」
この事件により、明菜の芸能人生は暗転する。当時の所属事務所を辞め、その後も事務所やマネージャーを転々としつつ個人事務所を設立、アイドルからよりアーティスティックな方向性に活路を見出していく。
しかしその一方で、家族はおろか、周囲のスタッフとも疎遠になり、現在はマネージャーと二人三脚で活動しているようなのだ。
現在、80代となった実父も背中を丸めて、娘への思いを吐露する。
「お恥ずかしい話なのですが、私も家族も26年間ほど会っていないんですよ。数年前に取材に来た記者にハガキを渡して明菜に届けてもらったんですが、受け取ってもらえませんでした」
特に大病こそしていないものの寄る年波か、体の自由が利かなくなり、湿布の数が増えているという。
「会えば寂しい思いをするだけだと思うので、会いたいと思わないです。向こうから拒否してもう26年間も経つんですよ。こちらは迷惑をかけることや悪いことをしているわけではないので、余計に悲しい」
実兄も明菜との間の誤解を解きたいとした上で、こう続ける。
「やっぱり、明菜に会いたい。兄弟はみんな会いたがっています。テレビやラジオで明菜の曲が流れると嬉しいですね。僕がいちばん好きな曲は『サザン・ウインド』です。聴くと余計に会いたくなりますね‥‥」
多くのファンは明菜の生の歌声を「じれったい」ほど待ち続けている─。
*「週刊アサヒ芸能」6月3日号より