ここで時を戻そう。今から10年以上も昔、松山の快挙を想像できただろうか。マスターズを制する日本人は? この問いに、誰もがスーパーエリート・石川遼(29)の姿を思い浮かべたはずだ。
その「逆転人生」はアマチュア時代に遡る。
「2人が初めて同じ大会で相まみえたのは中学1年生の『全国中学校ゴルフ選手権』。松山は当時から石川の存在を意識していたそうで、『同じ中1なのに、1Wで40ヤード置いていかれた‥‥』と、のちにセッティングされた2人の対談で明かしていました。石川が15歳でアマチュアながら国内ツアー初優勝を飾った時、松山は明徳義塾で寮生活を送る一介の高校生に過ぎなかった。両者は完全に別世界の住人でした」(ゴルフ誌ライター)
早咲きの石川は07年のハニカミ旋風を経て、18歳だった09年に見頃を迎えたが、満開状態はそう長くは続かず‥‥。
「18歳で賞金王の最年少記録を塗り替えたのがピークでした。その後、活躍の場を米ツアーに移しましたが、12年の『プエルトリコオープン』と14年の『シュライナーズホスピタルforチルドレンオープン』での2位が最高。対する松山は14年の『メモリアル・トーナメント』で史上最年少となる米ツアー初優勝を飾って脚光を浴びました」(スポーツ紙デスク)
松山は拠点をアメリカに移し、石川もマスターズの開催地・オーガスタに7LDKの大豪邸を購入したというが、
「価格は日本円で3000万円ほど。鳴かず飛ばずで米ツアー挑戦を断念した17年頃に売りに出し、オーランドとカールスバッドの豪邸も処分したそうです」(スポーツ紙デスク)
16年の「ISPSハンダワールドカップ」では、松山が石川をパートナーに指名する形で参戦したが、
「この時点で松山が格上だったのは歴然。この大会以降、石川は低迷期を迎え、19年には国内メジャー2勝を含む計3勝をあげて復活を果たしましたが、20年はコロナ禍でツアー数が減ったことも相まって未勝利に終わりました」(スポーツ紙デスク)
そんな石川も、松山同様に新コーチに師事している。20年3月からデータ分析の専門家でもある田中剛氏と契約を交わしているが、宮崎氏は「遅きに失した」と、手厳しい指摘を続ける。
「松山と同じ年齢でも状況が異なります。ゴルフ一筋で頑なに自分のスタイルを貫いてきた松山と違い、石川はスイングをイジりすぎて迷路にハマり込んでしまった。海外で飛距離を伸ばすために〝マン振り〟しすぎて腰を痛めてしまいました。これを立て直すには相当の時間が必要ですよ」
この差は、新しいコーチが就任しただけで埋まるものではない。ラウンドをサポートするキャディーの不在も見逃してはならない。
「現在、石川には特定のキャディーが付いていません。19年の『日本シリーズJTカップ』で優勝した時にコンビを組んだエースキャディーの佐藤賢和氏は、渋野日向子の米ツアーに同行していて不在。予選落ちした今季開幕戦は、石川の妹がゴルフバッグを担いでいました。松山には3年間の苦楽をともにした早藤将太キャディーが付いています。松山の高校と大学の後輩なので、当初はイエスマンに過ぎませんでしたが、今では松山に助言を送れるまでに成長した。石川にも二人三脚で戦ってくれる相棒が必要ですよ」(スポーツ紙デスク)
「週刊アサヒ芸能」4月29日号より