富士の樹海や特殊清掃の現場など、危険な潜入ルポを得意とするライター兼イラストレーターの村田らむ氏。コロナ禍で“密”のリスクを避けようと、一部では廃墟めぐりが隠れたブームになりつつあるそうだが……。山梨県清里で見つけた黄色い廃墟に、懐かしい思いがこみ上げてきた理由とは?
新型コロナウィルスの影響でなかなか出かけづらい状況が続いている。たとえ足を運んだとしても、営業を休んでいるお店も多い。
だったら最初から「もう、やっていない場所に行けばいいじゃないか」ということで、自動車で廃墟や廃線めぐりをする人も少なくない。
山梨県の清里は、1970〜80年代には「バブリーな高原避暑地」として賑わった場所だ。だが、温泉があるわけでもなく、交通の便がよいわけでもない清里は、流行りが過ぎるとメディアからも忘れられた存在となった。
大きなポット形をした喫茶店、パステルカラーのショッピング広場、お城のような形のショップなどなど、70〜80年代らしいメルヘンチックな建物が、ほとんどがそのままの形を残して廃墟になった。そして30年の時を越えて現在もまだ残っている。
もし人気があり続けた観光地だったら、時を経るうちに建て直されていき、昭和メルヘンはとっくの昔に消えてしまっていただろう。巨大資本の再開発にさらされなかったことで、逆に後世まで文化が伝わったと言える。言い方は悪いかもしれないが、そうした廃墟群は、火山噴火の火砕流で埋まってしまったがゆえに、文化がそのまま残ったイタリアのポンペイに似ているかも知れない。
そんな清里の廃墟群の中でも、特に胸が熱くなる廃墟がある。
国道141号線清里ライン沿いにある、緑色の三角形の屋根が特徴の元ショップだ。廃墟になって長いため、サンシェードはへし折れて下に落ちている。かつては“おみやげコーナー”のようだった一階部分は物置としてそのまま放置されたらしく、段ボールやらなんやらが乱雑に置かれている。そして多少欠けているが、看板が残っている。
「北野印度会社」
この店名にピンと来た人は、40代後半以上の人だろう。1985年から1996年まで放映されたビートたけしの冠番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のオフィシャルのカレーショップだ。当時は一大ブームになり、カレーを目当てに長蛇の列ができては、その大賑わいの様子が番組でも放送されていた。
店の中を覗いてみると、オシャレといえばオシャレなのだが、店の作りはシンプルだった。壁に貼ってあるのもオシャレな外国のポスターで、番組の写真ではなかった。
そして手書きで「特製ビーフシチュー1500円」という小さなポスターも貼られていた。なかなか攻めた値段である。
この話をSNSでつぶやいたところ、行ったことがあるという人からレスが来た。
「高い値段の割にめちゃくちゃ不味かったんだよ!! そりゃ潰れると思った」
と教えてもらった。
48歳の筆者にとって、10代の頃に憧れた「北野印度会社」のカレー。不味くても良いから食べてみたかったな…と思い、ちょっとノスタルジックな気持ちになった。
(写真・文/村田らむ)