夜の街、それも艶系業界でアルバイトをしていたお笑い芸人は少なくない。それをトークのネタにすることもしばしば。そんな業界にドップリだったのは、空気階段の鈴木もぐら。「キングオブコント2020」ファイナリストだが、借金を700万円も抱えた身。妻子がありながら、夜のピンク遊びやギャンブルがやめられず、長きにわたって別居を強いられた。
「アルバイトデビューは大阪の梅田にある夜のサービス店。大学の学費が払えず、高収入雑誌を見て給料が良かったので飛びついたそうです。受付業務を主にしていました。芸人になって3年目ごろには、週5ペースで無料案内所のバイト。なぜかそこで逆ナンされるという、おいしい思いもしています」(エンタメ誌編集者)
近所の店舗で働くNo.1ピンク嬢から、「きっと売れるから、今のうちにサインをして」とせがまれて、超高級ブランドのバッグを差しだされたことがあるという。芸人としてまったく食えていなかったため躊躇したが、女性から懇願されて、しぶしぶ高級バッグに油性ペンでサインをしたとか。
ピンク系案内所といえば、次長課長の河本準一、パンクブーブーの黒瀬純も貧乏時代にバイトをしていたことで知られている。
M-1の17年の覇者はとろサーモン。ボケ担当で、眼鏡をかけている久保田かずのぶは、タッチOKのピンク系パブの元店長という肩書きを持つ。その驚くべき給与明細とは…。
「芸人として目が出るまでには15年ほどかかりましたが、店では2年で店長に。M-1獲得直後と同じ月収80万円を手にしています。業界から足を洗ったあとは、夜の蝶の犬の散歩をして5000円をもらったり、社長のバトミントン大会の審判をして1万円をもらったりして、小銭を稼ぐことに必死だったとか」(前出・エンタメ誌編集者)
こうした経験は芸の肥やしになった。09年には、業界最大手のDVDメーカーがスポンサーを務める「桃色製作所」なるラジオ番組を受け持った。17年には、白石和彌監督の「牝猫たち」に、相方の村田秀亮と売れない芸人役で出演。19年には大手DVDメーカー主催のビッグイベントのゲストプレゼンターを務めている。
そんな久保田より年季の入ったM-1芸人は、04年と09年に決勝戦へ進出している東京ダイナマイトのハチミツ二郎。コンビ結成前に零細お笑い事務所で社長を務めていたころ、艶動画の有名監督に誘われて撮影現場へ足を運ぶと、男優が足りないという理由で急きょ出演。以降、男優として80本ほどに出演した。
夜の街やピンク業界に見切りをつけて、「キングオブコント」や「M-1グランプリ」で世に出るチャンスをつかんだ芸人たち。いま、夜の街で働き、糊口をしのいでいる貧乏芸人たちの希望の星になっていることだろう。
(北村ともこ)