長嶋茂雄×野村克也「実録ライバル史」(7)高校唯一の本塁打が最高の舞台で
長嶋茂雄は多くの「伝説」を残しているが、1953年8月1日、埼玉・県営大宮球場で放ったバックスクリーン弾を抜きにしては語れない。生涯を決めた一発だった。 36年2月20日、日本にプロ野球が誕生し...
長嶋茂雄は多くの「伝説」を残しているが、1953年8月1日、埼玉・県営大宮球場で放ったバックスクリーン弾を抜きにしては語れない。生涯を決めた一発だった。 36年2月20日、日本にプロ野球が誕生し...
翌6月9日、皇太子さまと雅子さまの「結婚の儀」とパレードに日本中が祝福し、沸き返っていた。 この日、乱闘の余韻が残る巨人とヤクルトは金沢に移動した。今度は平成の野球史に残る逆転の名勝負となった。...
皇太子徳仁親王と小和田雅子さま(現天皇・皇后)の「結婚の儀」を翌日に控えた1993年6月8日、巨人とヤクルトの遺恨が遺恨を呼んだ「北陸戦争」が起こった。 長嶋茂雄監督が率いる巨人は、野村克也監督...
長嶋は92年オフ、12年ぶりに巨人の監督に就任した。野村はライバル心・対抗心・敵愾心を隠すことなく、ID野球で対抗姿勢を打ち出した。〝口撃〟を繰り返した。 野村は「王、長嶋がヒマワリなら、私は月...
東京ドームには試合前から熱気が漂っていた。1993年4月30日。プロ野球の平成因縁対決、ファンが注目する長嶋茂雄監督が13年ぶりに指揮を執る巨人と「ID(インポートデータ)野球」を掲げる野村克也のヤ...
野村の600号記念日の夜、神宮球場のヤクルト対巨人戦には4万9000人のファンが詰めかけていた。大観衆から巨人・長嶋茂雄新監督が試合後にヤジ・怒号を浴びていた。激励の歓声はかき消されていた。 1...
1975年5月22日、後楽園球場では日本ハム対南海8回戦が行われていた。観衆は7000人である。閑散としていた。 5回1死一、二塁。南海の野村克也が打席に入ると球場が少しざわついた。投手はレイだ...
言いたいことも言えない世の中に、炎上覚悟で物申す好評連載に野球解説者の‟エモやん〟こと江本孟紀氏(75)が登場。野球マスコミへの憤懣を赤裸々に激白する! 今日は、野村(克也)さん譲りの〝ボヤキ節...
フリーアナウンサーの大橋未歩が8月25日、アシスタントを務める「5時に夢中!」(TOKYO MX)に出演。ピントがズレたコメントで視聴者を呆れさせた。 第104回高校野球選手権で優勝した仙台育英...
奇策の連発で「弱者の兵法」を体現するのが、日本ハムの新庄剛志監督(50)だ。ダブルスチールやツーランスクイズを次々と成功させている派手さばかりが目立つが、 「データの裏付けのない浅いところで、ノム...