元テレ朝アナ・日下千帆インタビュー(1)「夜中1時出勤、早朝番組は体力的に限界でした」

 報道、情報、バラエティーと幅広く番組を担当してきた、元テレビ朝日のアナウンサー日下千帆(56)。彼女は局を去ってから、次々と資格を取得しているそうだ。多彩な活動、仕事に繋がっているという。

──6年間で駆け抜けた、テレ朝時代の思い出は?

日下 オウム真理教の取材で教団施設のあった(山梨県)上九一色村に行きました。現場では、待ち時間が長かったので、社会部の女性記者とスーパーでドーナツを買って食べていたのですが、その様子が日本テレビのニュースで流れてしまったんです。〈取材スタッフが休憩中〉みたいなトピックだったのですが、他局に撮られていたなんて全然わからなかったですね(笑)。

 群馬のレンコン畑から中継をした時は、ディレクターが悪ふざけをして本番前に水をガンガン畑に入れていました。泥のプールみたいな状態で、そこに胴長を着て入っていくのですが、2~3歩でもうズブズブと沈んでいくんです。胸元くらいまで浸かって「ギャー」って叫んだところで中継が終了。帰社して部長からこっぴどく怒られました、不運にも、その日がたまたまアナウンス部の旅行会で、部長と副部長と同じ車で温泉まで移動しなければならず、地獄を味わいましたね(笑)。

 他には、学生時代からフラメンコをやっていたのですが「邦子がタッチ」という番組のスペインロケで踊りました。「カフェ・デ・チニータス」という老舗の名門店のステージ。最近知ったのですが、実は店から「踊るなら100万円払え」と言われていたそうです。当時のプロデューサーが「いいよ、払ってやれよ」って言ったことで成立したようですが、知っていたら踊っていませんよ(笑)。

──そんな楽しそうな日々でも退社したきっかけは?

日下 朝5時から「朝イチ! N天CNN」という生放送の番組を担当していたのですが、体力的に限界でした。

 夜中の1時出勤で、そこからVTRを見て、前振りを考えて原稿を書いて、会議があって、メイクをして本番という毎日でした。番組が6時に終わっても、一旦休憩したら朝のニュースを読みます。そこから仮眠して、9時になると皆さんが出勤してくるので、管理職にお茶を出して、その後、提供読みやイベントの司会。忙しい時は別の番組の海外ロケもあって、そのままロサンゼルスに飛んだこともあります。

 1週間取材して、帰国したら荷物を置いて、そのまま朝5時からまた生放送。そういう生活に限界を感じました。元気だったら局に残って、他の部署に異動して頑張れたのかもしれないですが、その頃は2週間に1回熱が出るほど具合が悪かったので無理でしたね。97年、29歳の時に退社しました。

日下千帆(くさかちほ)1991年、テレビ朝日入社。報道、情報、スポーツ、バラエティーとすべてのジャンルの番組を担当した。97年に退社。以降、大学生向けのキャリアカウンセラーや、 企業や官公庁、団体でビジネスマナー研修の講師なども務める。

(つづく)

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