19年夏頃から、北海道東部の標茶・厚岸周辺に出没し始め、少なくとも放牧中の牛66頭を殺傷した。総額2000万円を超える甚大な被害を与えるなど、地元の酪農家や住民たちを不安と恐怖に陥れてきたコードネーム「OSO18」(最初に牛を襲撃した地名「オソベツ」と、現場に残された足幅が「18センチ」だったことに由来)。令和の凶悪ヒグマは駆除された後、どうなったのか。
「7月28日、釧路町の牧草地そばの道路をヒグマが横断していたという目撃情報があった。30日の早朝5時頃、町役場の職員で有害鳥獣駆除の許可を受けている40代のハンターが巡回したところ、牧草地に横たわっているヒグマ1頭を発見。80メートルの距離から首に1発、まだヒグマに反応があったため、20メートルまで接近して頭に2発、計3発で仕留めました」(釧路町役場職員)
OSO18の最期の瞬間である。意外にもあっけなく息絶えたようだが、過去4年にわたる傍若無人ぶりは目に余るものがあった。地元のハンターが言う。
「鋭い爪と歯で牛の腹を一気に切り裂いて内臓をえぐり取る怪力を持ち、さらには襲撃した牛の肩ロース部分のみを食べるという狡猾さもあった。一方で警戒心が非常に強く、人目につかない深夜に牛を襲うなど、神出鬼没な一面もありました。こうした習性から、ハンターの間では〝忍者グマ〟とも呼ばれていた」
実は、OSO18が駆除された釧路町では、これまでに一度も被害も目撃情報もなかった。〝忍者〟の異名通り、ほとんど人前に姿を現さず、被害地域に設置されている監視カメラでさえもその姿を捉えたのは、わずか数回。それに釧路町役場に勤務するハンターは、ヒグマへの発砲が今回初めてのことだった。そのため、当初は自身が仕留めたヒグマについて「OSO18とは思わなかった」と周囲に語っていたという。
だから当のハンターは、絶命したヒグマの遺体をすぐに釧路町に隣接する白糠(しらぬか)郡のジビエ肉解体・加工会社「馬木葉」に持ち込んだ。OSO18を解体した同社代表の松野穣氏が、その時の様子について語る。
「ヒグマは年間10頭ほど持ち込まれるけど、重量はだいたい100キロ〜150キロくらい。でも、その日にハンターから持ち込まれたヒグマは、内臓を取り除いた状態でも304キロと大きかった。OSO18に関する情報は少なかったけど、臀部に傷跡があることは知っていた。解体時に臀部に少し傷跡があったから、『もしかして‥‥』とスタッフと冗談半分に話していたんだ。でも、まさか本当にOSO18だったとはね。役場から報告が来た時は、本当にびっくりしたよ。そもそもOSO18だとわかっていたら、解体して市場に流通することはなかった。剥製にして、道内の博物館に展示されていたはずだからね」
結果的に、OSO18は食用肉として解体・加工され、道内や東京都内の飲食店で提供されたのである。
「もうすべて出荷してしまったけど、今も『OSO18の肉の在庫はないか?』という問い合わせは全国の飲食店からある。味? 味噌煮込みで食べて、まずくはなかったけど、いたって普通の熊肉だったね(笑)」
牛を貪り続けた怪物が人間に食べられて跡形もなくなるという、アッケない幕引きとなったのである。
*「週刊アサヒ芸能」9月14日号掲載