大山倍達「牛殺し伝説の遺品」が1000万円で売られていた(1)400キロ超の猛牛との死闘

 極真空手の創始者でKARATEを世界に広めた〝ゴッドハンド〟こと大山倍達。約70年前、人類代表として猛牛との闘いに勝利したエピソードはあまりに有名だが、戦利品の角などが1000万円で販売されていた。かつて極真会館総本部に飾られていた伝説の遺品はどのような経緯で外部に流出したのか。

〈大山六段、身長5尺7寸、体重22貫、鍛え抜かれたその肉体は日本空手界の第一人者に相応しいものがあります。一方、当年5歳の南部産大牛は体重110貫余り。角の直径3寸、角の長さ1尺3寸という猛牛であります。緊張は刻一刻と高まってまいります。大山六段、一躍して牛の鼻面をとらえました。牛か人か、手に汗握るうちに、ついに闘争の火蓋は切って落とされたのであります〉

 記録映画「猛牛と闘う空手」が伝えたのは1954年1月14日に千葉県館山市の海岸で行われた世紀の一戦。国際空手道連盟極真会館の創始者で、人気漫画「空手バカ一代」のモデルとして知られる大山倍達(94年没、享年70)が、体重110貫(約412キロ)の猛牛に挑み、血に染まる角をへし折ると、「牛殺しの大山」の名は全国に轟いたのだった─。

 死闘から69年、格闘史に残る戦利品は意外な場所にあった。

「大山倍達が倒した『猛牛の角』と実使用闘衣一式/税込価格¥10000000」

 公式サイトで展示販売をPRするのは、東京都巣鴨に店舗を構える格闘技・プロレス専門の買い取り販売店「闘道館」。前述した牛の角に加え、その時に着用していたトランクスの他、妻の智弥子氏(故人)に送った直筆の手紙、ベルトなどのお宝がセット販売されているではないか。

 大山総裁の研究を続けるブログ「拳の眼」管理人のLeo氏が「牛の角」について解説する。

「牛の角折りという偉業を達成したのは後にも先にも大山総裁ただ一人。まさに唯一無二と言えるでしょう。大山総裁はその前年からと畜場に通っては、150キロから200キロという比較的小さな牛を練習台として、およそ50本の角を折ったと言われています。映画会社がその話を聞きつけ、その結果、前代未聞の闘いが実現しました。総裁いわく『8歳を過ぎた牛の角は折りやすいが、若い牛は脂が多くてそうはいかない』とのことで、本番で出てきたのは若くて大きな牛。撮影班や観衆からは『さすがに無理じゃないか』という声があがったそうです」

 大山総裁は脇腹を負傷しながらも猛牛との激戦を制した。94年に亡くなるまでの約40年、大山総裁はその角をとても大切にしていたようで、遺品の中でも特別な逸品と言えるはずだ。

*「週刊アサヒ芸能」9月14日号掲載

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