60年代GSブームから47年ぶりに復活、ポール岡田が語る「反骨精神」

 伝説のボーカリストにして広告音楽プロデューサーとして活躍したポール岡田(76)が47年ぶりとなる新譜をリリースした。60年代のGS(グループ・サウンズ)ブームの最中に「ザ・カーナビーツ」の2代目ボーカルとして活動。ソロ歌手、男女デュオなどを経て、音楽プロデューサーに転身すると「サーカス」の『Mr.サマータイム』や「Y.M.O.」の『君に、胸キュン。』、「B’z」の『LADY NAVIGATION』など数多くのCMソングを世に放った。70代半ばにして意気軒高、半世紀以上にわたって音楽に情熱を傾け続ける岡田に話を聞いた。

 岡田は今年6月に『Back Pages−僕の裏側—』、『裸のディナー』、『マツコと踊りたい』の3曲が収録されたミニアルバムをリリースした。ロック調の『Back Pages−僕の裏側—』、『裸のディナー』、古き良きGSの楽曲を思わせるポップスソングの色合いもある『マツコと踊りたい』と曲調は違えどもその伸びやかな艶っぽい歌声が何とも印象的だ。

 音楽活動自体はセミ・ドキュメンタリー小説「HAIR1969輝きの瞬間」(飛鳥新社刊)を発刊したのをキッカケに10年から再開しているものの、新譜となると寺門由紀子とのデュエットグループ「パイシス」の2ndシングルとしてリリースされ、作詞・作曲を松任谷由実(※当時は荒井由実)が手掛けた『恋人と来ないで』以来47年ぶりとなる。

「僕自身が『そろそろ出してみようか』というよりは、音楽プロデューサーの大野良治さん(故人)から『そろそろやってみないか?』とオファーをもらったのがキッカケです。日本でこの歳でステージに立つというのはあり得ないかもしれないけど、年齢というのをあまり意識しないであくまでエイジレスな感じでいきたいな、と。昔から人と違うことをやりたいという思いはずっと持ち続けているし、幸運にも (音楽活動を続けていく中で)『もうダメかも』と感じたことはまだないです」

 そう語る岡田だが、その音楽活動を支えたのは「幸運」だけではない。現役のボーカリストとして、日々のボイストレーニングや体力作りは欠かさない。

「音楽をプロでやる限りは皆さんに認めてもらえるパフォーマンスは常に意識しています。僕のベースにはロックミュージックがありますが、ロックは体で表現するところもありますからね。今も結論は出ていませんが、どこまでできるのか自問自答を重ねながらですけど」

 そのうえで、そのエネルギッシュさの原動力についてはこう続ける。

「やはり一番は年齢と関係なく常に好奇心を持ち続けていることが大切なんじゃないですかね。僕の場合は音楽ですけど、好きなことを見つけて、それをやり続けることでは? 他人に共感してもらえばもっと楽しめますし、『歳は取っても年寄りでいたくない』という反骨精神もどこかにあるかもしれませんけど」

 サングラス越しに優しい微笑みを浮かべる岡田。その60年以上にわたる長い音楽人生の中では人気アーティストや有名作家、日本の音楽シーンを代表する名プロデューサーなど数々の出会いが……。業界交遊録については追って紹介したい。

ポール岡田 1947年8月13日生まれ、滋賀県出身。69年、「ザ・カーナビーツ」に2代目ボーカリストとしてメジャーデビュー。同年から東京・渋谷東横劇場で上演された日本初のロック・ミュージカル「ヘアー」にウーフ役で出演。その後再びボーカリストとしてソロ歌手、男女デュオなどでレコードをリリース。70年代末に音楽活動を休止し、広告制作会社に入社。その後、広告企画プロデューサーとして数多くのCMソングの制作に携わる。同社を退社後、01年に個人会社を設立。09年末にセミ・ドキュメンタリー小説「HAIR1969輝きの瞬間」を上梓。翌10年からバンド・ライブ活動を再開。

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