名刀をイケメン・キャラにした「刀剣乱舞」、さらに「るろうに剣心」「鬼滅の刃」などが大ヒットし、「刀剣」ブームが続いている。武器でありながら、ゾクッとするような美しさを持つ美術品として、刀剣女子をはじめ世界中から注目される日本刀。武将たちを渡り歩いた名刀群の秘密を明らかにする。
まずは刀の起源について、「戦国名刀伝」「妖しい刀剣」など刀剣関連の著作も多い作家の東郷隆氏は言う。
「刀剣にまつわる伝説・伝承は、有名なブリテンのアーサー王伝説で石に刺さった剣を引き抜いて王になる名剣エクスカリバーや、中国の名工である干将・莫耶夫婦が鍛えた陰陽の宝剣伝説など世界中に数多あります。これらは全て鉄器信仰です。金属器、特に刃物というのは、それなりの技術がなければ自然界からは取り出せない貴重なものだから、その製作者までも信仰の対象となり、鉄器信仰は人類のDNAに組み込まれていると言えます」
日本における刀剣の歴史を歴史家の河合敦氏に聞いた。
「日本に鉄器が登場したのは弥生時代。矢尻など鉄器が現れ、鉄剣も作られていました。古墳時代には渡来人たちが中心になり、大陸伝来の真っ直ぐな直刀が作られていました。日本刀の最大の特徴は、湾曲した『反り』と刀の強度を増すための膨らみ=『鎬』があることですが、直刀は双方に刃があるものがあり、これは突いて用いるのに対し、平安時代末期に日本刀が完成した頃には、打ち下ろして切るために刃が片方になり、刀身に緩いカーブがつけられたようです」
平安末期から源平の時代、鎌倉末期に刀作りの代表的な産地として、「五箇伝(ごかでん)」と呼ばれる、大和(奈良)、山城(京都)、備前(岡山)、相州(神奈川)、美濃(岐阜)で作られた刀がある。平安末期から室町末期に作られた刀は現代では「古刀」と呼ばれ、安土桃山時代、豊臣秀吉の終わり頃から江戸時代の半ばくらいに作られた日本刀は「新刀」と呼ばれる。
1650年代、徳川4代将軍家綱の時代になると、
「幕府は武士の脇差や刀の寸法を『武家諸法度』で細かく決めたので、新しく刀を購入する需要が急に増えますが、平和な時代になると刀の需要が減ってきて、刀の鍔や柄、刀を止めるための目貫、刀を収める鞘など装飾の技術が発展します。時代劇の『暴れん坊将軍』のモデルとしても知られる徳川8代将軍の吉宗は、『享保名物帳』という刀剣目録を作らせています。刀の品質を鑑定して『折紙』という鑑定書を与える本阿弥家に命じて全国の大名家などに伝わる名刀、大坂の陣や明暦の大火などで焼けた名刀などを含めて合計234振りを調査しています」(河合氏)
この名物帳は、現代までの日本刀の評価の基準になっているという。続けて、
「その後、古刀の復活を唱えたのが出羽国(山形)出身の刀工・水心子正秀。完全に廃れていた古刀の作り方を復活させました。この時代に作られた刀は『新々刀』と呼ばれ、1770年代から幕末、明治まで続きます」
河合敦(かわい・あつし)65年、東京都生まれ。多摩大学客員教授。歴史家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。最新刊:「日本史の裏側」(扶桑社新書)。
桐畑トール(きりはた・とーる)72年滋賀県出身。お笑いコンビ「ほたるゲンジ」、歴史好き芸人ユニットを結成し戦国ライブ等に出演。「BANGER!!!」(映画サイト)で時代劇評論を連載中。
東郷隆(とうごう・りゅう)国学院大学博物館研究員、編集者を経て作家に。「大砲松」「本朝甲冑奇談」など文学賞受賞作のほか、近刊「怪しい刀剣 鬼を斬る刀」(出版芸術社)、「うつけ者」シリーズ(早川書房)など。