小籔千豊はこの秋、大車輪の活躍を見せた。現在は、秋元康氏が企画・原作・脚本、テレビプロデューサーの佐久間宣行氏が総合監修を務める連続ドラマ「最初はパー」(テレビ朝日系)に出演。同作は、SixTONES・ジェシーの単独初主演。小藪は、ジェシーや市川猿之助ら個性が強いキャストが通うお笑い養成所の鬼講師役を、地元の関西弁で演じている。
公開中の映画「ある男」にも出演しているが、こちらも同じく関西弁。主演の妻夫木聡の同僚弁護士役だが、確かな演技力に定評がある。
小藪は2006年、吉本新喜劇の史上最年少座長に就任。広く世間に知られるようになったが、芸人としてのルーツは93年に山田知一(現在は構成作家)と組んだ漫才コンビ「ビリジアン」。お笑いユニット「フルーツ大統領」としても活動した。
お笑いの腕を磨いたのは、所属する吉本興業が大阪・梅田にもっていた常設劇場・うめだ花月(閉館)。「花月軍団」には小藪のほかに、土肥ポン太、COWCOW・多田健二、FUJIWARA・藤本敏史らがいた。
うめだ(キタ)に対抗して、なんば(ミナミ)で幅を利かせていたのは心斎橋筋二丁目劇場(閉館)。通称「二丁目」は、86年にNSC卒業生を中心とした若手育成のために創設された。翌87年、ダウンタウンが平日夕方の生放送帯番組「4時ですよ~だ!」(毎日放送)をスタートさせると、女子中高生を中心に人気が爆発。劇場には連日大勢の女性ファンが押し寄せ、89年に東京進出を理由にダウンタウンが卒業すると、千原兄弟が“二丁目の新星”となった。
当時、うめだ花月と心斎橋筋二丁目劇場では、演者も社員もバチバチのライバル関係にあったという。大阪出身のエンタメライターが当時を振り返る。
「ある日、二丁目軍団と花月軍団がミナミの繁華街で鉢合わせしたことがあったんです。二丁目組は千原ジュニア、ケンドーコバヤシ、サバンナの高橋茂雄。花月側は小藪や藤本など。先制攻撃を仕掛けたのはジュニア。『これはこれはうめだ花月のみなさん。偶然ですな、こんなところで。お笑いストリートファイトでケリつけましょか?』と挑発すると、小藪は『やりましょうや』と売られた喧嘩を買ったそうです」
小籔はジュニアより4期も下。吉本は完全なる縦社会のため、先輩にタメ口をきくことは許されない。しかし、この夜ばかりはカベが取り払われた。一触即発ムードになったとき、「まぁまぁ。こんな機会珍しいから、飲みません?」と、火消し役を買って出たのはケンコバ。この気遣いに免じて芸人たちは背を向け、それぞれ逆の方向に歩いていって事なきを得たという。
お笑いストリートファイトを吹っ掛けたジュニアは当時、「ジャックナイフ」の異名を取っていた。同様に、20代の芸人もそろって、「俺がいちばんおもろい」と信じて疑わなかった。自信こそ最大の武器だった“大阪ミナミの陣”。現在は笑い話になっているという。
(北村ともこ)