1月8日、「ボンバーヘッド」の愛称で知られ、長く日本代表の守備の柱として活躍した横浜F・マリノスの中澤佑二が現役引退を発表した。
中澤は2006年ドイツ大会と2010年南アフリカ大会の2大会連続でW杯に出場。代表キャップは110で歴代7位という記録を残している。田中マルクス闘莉王とのコンビで鉄壁の守備を築いたことを覚えている人も多いだろう。Jリーグでは2003年、2004年とリーグ2連覇に貢献。04年にはJリーグ最優秀選手賞を獲得している。日本サッカーに史に名を刻む名選手だが、プロサッカー選手になるまでは波乱万丈の人生だった。
「日本代表選手の多くが子供の頃から将来を嘱望され、世代別の代表に選ばれてきた経験を持っています。ですが、中澤はまったくの無名。高校はサッカー名門校とは言い難い埼玉県立三郷工業技術高等学校。高校を卒業したものの、Jリーグのチームからお誘いはありませんでした」(サッカーライター)
これといった経歴のなかった中澤は高校卒業後、ブラジルにサッカー留学。1年後に帰国してJリーグのチームに売り込みをかけたが、ここでもオファーはなかった。仕方なく三郷工業技術高等学校のチームに所属していた時のこと、ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ1969)のユースチームとの練習試合で活躍し、ヴェルディの練習生としてチームに加入した。
「練習生なので給料はありません。毎日、埼玉県吉川市の家から練習場があるよみうりランドまで片道2時間かけて通いました。お金がないので母親におにぎりを作ってもらい、それを食べて練習に臨んで。彼のハングリー精神はこの時に養われたものでしょう」(前出・サッカーライター)
中澤はこの頃、ある事件を起こしてサッカー記者の間で話題になっている。
「主力と控えで紅白戦を行っていました。中澤はもちろん控え組。主力組には円熟期にさしかかっていたキングカズこと三浦知良がいました。ブラジルでは練習から本気でぶつかって行くのが当たり前。中澤は自分と同じブラジル留学をしていたカズならそれをわかってくれるだろうと、カズを本気で削りにいったんです。チーム首脳陣にアピールしたいという気持ちもあったんでしょう。カズは変わった髪型の選手が自分にガチであたってくるのに腹を立て、中澤の頭髪を掴んでピッチサイドに引きずり出したんです。キングカズを本気で怒らせた男として、中澤の名前はすぐに広まりました」(前出・サッカーライター)
その後、中澤はヴェルディとのプロ契約を勝ち取る。チームで活躍し、シドニー五輪にも出場した。02年には横浜F・マリノスに移籍。後の活躍は語るまでもないだろう。
一時代を築いたディフェンダーの引退は寂しい限り。しかも、自身の名を上げることになったカズより先に中澤佑二が引退してしまうのは残念でならない。