安室にあって華原になかったものとは? アイドル史に残る「覇権争い」10番勝負(2)

 90年代に入ると、今では考えられないほどの「CDバブル」が起こる。シングル、アルバムともに100万突破のミリオンセラーが続出し、カラオケではマイクを奪い合う現象が起きた。

 その頂点に立ったのが、宇多田ヒカルと浜崎あゆみの両歌姫である。タブレット純やアナログタロウとJ-POPやアイドルイベントも開催する芸人・ユリオカ超特Q氏が解き明かす。

「宇多田ヒカルに関しては、やはり母親が昭和のスターだった藤圭子というサラブレッド感が大きかったですね。これで若者だけでなく、上の世代も取り込んだと思います」

 宇多田が99年に発表した1stアルバム「FirstLove」は、約800万枚という今後も2度と破られないであろう売上げを樹立している。

「今でも『Automatic』のPVを誰もが思い出せるように、PV時代の幕開けを飾ったアーティストになりましたね」(前出・ユリオカ氏)

 そして浜崎は、世代のファッションリーダーに位置した。

「ブレイクするまでに下積みのタレント時代があったりとか、実は泥臭い部分があったりする。そのことが感情移入しやすかったのか、キャバの女の子などにものすごく人気がありました」(前出・ユリオカ氏)

 宇多田も浜崎も、全国長者番付の上位に名を連ねたのは、CDバブルを象徴する出来事だった。

 90年代にはもうひとつ、隆盛を誇った「小室哲哉プロデュースの歌姫バトル」もあった。その頂点にあったのが、小室の寵愛を受けた華原朋美と、圧倒的なカリスマ性を見せた安室奈美恵だろう。

 アイドル文化に詳しい元「ジャズ批評」編集長の原田和典氏が解説する。

「小室哲哉って、こんなに幅広い曲を作れる人なんだというのが、当時の第一印象。安室と華原が、小室のポテンシャルを引き出したのかもしれない。歌唱力、ダンスのスキル、トータルのスタミナでは安室が圧倒的だった。コンサートの映像を見ても、よくもまあ、あんな長時間、テンションを落とさず歌い踊り続けられるものだと感心させられた」

 一方、華原は当時、単独コンサートの経験はない。そのスタミナの差と小室との関係性も含めて、結果的に安室の圧勝に終わった。

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