中日・門倉コーチだけじゃなかった!球界「失踪」事件史

 5月15日以降、消息を絶ったままの元中日の門倉健2軍投手コーチ(47)。後に本人から退団届が郵送されてきたとして球団は26日に退団したことを発表している。

 ただし、こうした失踪騒動は異例であることには間違いないが、前代未聞というわけではない。60年代に国鉄、サンケイ、アトムズ(※いずれも現ヤクルト)で活躍した高山忠克は阪神移籍後の71年、当時甲子園に隣接していた選手合宿所から失踪。実は、ギャンブルによる借金が原因で、NPBから失踪による無期限追放処分を受けている。

 この処分を受けた人物はもう1人いて、それがバール・スノー。74年3月、日本ハムに投手として入団するも翌月の4月に行方をくらまし、すでに帰国していたことが判明。ホームシックが原因とされており、一軍戦での登板は一度もなかった。

 他にも88年に最優秀防御率、96年に最優秀中継ぎのタイトルを獲得した日本ハムや巨人で活躍した河野博文も90年に失踪騒動を起こしている。同年アキレス腱断裂で戦列を離れ、球団は選手枠を空けるためと治療に専念させる目的で支配下選手への再登録を前提とした任意引退を通告。ところが、本人はクビと勘違いして、実家に戻って球団からの連絡を一切絶っていたという。

 一方、サッカー界では00年代にドイツ・ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンなどで司令塔を務めたセバスティアン・ダイスラーが27歳のときに突如失踪。度重なる膝の故障などによるうつ病が原因だと後にわかったが、結局そのまま引退。ドイツ代表の10番を背負った若き名選手の早すぎる引退を多くのサッカーファンが惜しんだ。

 今回の門倉コーチの失踪について、「最近はどの球団もメンタルケアに力を入れているが、あくまで選手を対象としたもの。コーチなど他のスタッフに対しては十分とはいえない」と話すのは野球ジャーナリスト。

 どんな悩みを抱えていたのか不明な点は多いが、心配する家族やファンのためにも早く元気な姿を見せてくれることを願うばかりだ。

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