漫才協会名誉会長で現役最高齢の漫才師として知られる内海桂子さんが8月22日に多臓器不全のため死去した。97歳の大往生だった。
77歳の時に24歳年下のマネージャー・成田常也氏と結婚。2010年8月からツイッターを開始。桂子さんの言ったことを、夫である成田マネージャーが打ち込むことで、毎日のように更新していた。
歴史の教科書で習う「2・26事件」の目撃談として「上野で沢山の兵隊さんを見た」と投稿、「東京大空襲」での体験談として「言問通りと国際通りの交差点で親子四人が途方に暮れていた時、日本刀を持った褌一丁の男性が『動くなっ』と怒鳴っていたので隅田川に行かず近くの公園でトタンの下で身を潜めていて助かった。熱かったし死ぬ思いだった」と投稿するなど、リアルな言葉をつづることで49万超えのフォロワーから注目を集めていた。
「女性漫才師の先駆け的存在として活躍し、90代になっても現役最高齢の芸人として舞台に立ち続けた桂子師匠が若者からも親しまれていた理由の1つに、現在の夫である成田マネージャーとの大恋愛は欠かせないでしょう。成田マネージャーは8歳の頃に桂子師匠の漫才をラジオで聞いたことがきっかけでファンとなり、40歳の時に勤務していたアメリカの航空会社の営業マンとして、桂子師匠にロサンゼルス公演を依頼。公演終了後、成田マネージャーは国際電話とエアメールで毎日アプローチを繰り返し、53歳でやっと結婚したというエピソードの持ち主です。ネット上には、桂子師匠のように愛されたい、成田マネージャーのような男性と巡り合いたいと思う女性の声がいくつもあがっています」(女性誌記者)
なお、桂子さんは成田マネージャーと1990年から同居していたが、入籍したのは1999年4月8日。50年近く連れ添った相方の内海好江さんが亡くなって2年後のことだった。じつは過去に2度の“事実婚”にいたったこともあって、当時はスポーツ新聞の取材に対して、「2回目(の結婚)は、私が籍を入れるの嫌がったんだけど、1度目は、ちゃんとダンナの故郷の広島で出したんだけど終戦後のドサクサで、なくなっちゃってたんですねえ」と語っていた。
成田マネージャーとの結婚を機に、若手育成のため、台東区の自宅を稽古場つきの3階建てに改築。夫婦生活について尋ねられると、「1階の風呂から上がった時なんか、2階まで2人ともスッポンポンで上がっていったりしてますよ。アタシはこういう下町気質だもの」と話して笑いを取っていた。
大正、昭和、平成、令和と4つの時代を駆け抜けた桂子師匠。「生涯現役」を貫いた、みごとな芸人人生だったと言えよう。