歴史発掘ミステリー《平賀源内》「土用丑の日」考案者は獄中死していた

 このところ、めっきりウナギが高くなった。もちろん、白いダイヤと呼ばれるウナギの稚魚がまったく獲れなくなったのが要因ではあるが、そもそも「土用の丑の日」にウナギを食べる習慣さえなければ、もっと庶民派価格で食べられるのではないか……。そう考えるたびに頭に浮かぶ“偉人”が平賀源内だ。

 そもそも天然ウナギは晩秋から冬にかけて旬を迎えると言われる。それを江戸時代の庶民も知っていたのだろう、夏場のウナギ屋には閑古鳥が鳴いていたそうだ。そこでウナギ屋から相談を受けたのが、「エレキテル」の復元などで“大発明家”として知られた源内。ここではコピーライターの才能を発揮して、「本日、土用丑の日」と書かれた看板を出したところ、その店は大繁盛。他のウナギ屋もマネをしたことで7月にウナギを食べる習慣があっという間に広まり、現在にいたったという。

 源内がもしそんなキャッチコピーを考えていなければ……。もう少しウナギの価格も安定していたかもしれない。だが、今で言う「電通マン」のような才能を発揮した源内ではあるが、その最期があまりにも悲惨だったことを知る人は少ない。

 結論を先に言えば、殺人をおかして牢屋で獄中死したそうだ。大名屋敷の修理を頼まれていた源内は、大工2人と酒を飲んでいる時に、酔いの勢いもあってその設計図を見せてしまったのが事の発端。それからしばらくして、設計図がないことに気づいた源内は、あろうことか大工2人を「盗人」と思いこんで、バサーッと切りつけてしまう。殺人の罪で牢屋にぶち込まれた源内は、そこで破傷風にかかり、あっという間に亡くなってしまったんだとか。しかし、この最期には諸説あり、牢屋から抜け出して、とある大名の庇護下で天寿をまっとうしたという話もある。

 毎年、夏になると必ず話題になる「土用のウナギ」。価格高騰を生み出した要因のひとつではあるけれども、そんな壮絶な獄中死を遂げていたとなれば、多少は源内に対して同情の気持ちも生まれるというものだ。

(石川ともこ)

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