「俳優」笑福亭鶴瓶を生み出した伝説のマネージャーは清野菜名も育成していた

 主演映画「閉鎖病棟—それぞれの朝—」で笑福亭鶴瓶が中国版アカデミー賞と呼ばれる「第28回金鶏百花映画奨」の外国映画部門で、最優秀男優賞と最優秀作品賞をダブルで受賞した。

 山本周五郎賞を受賞した原作「閉鎖病棟」を、「愛を乞うひと」の平山秀幸監督の脚本で映画化。鶴瓶はおよそ7㎏減量して、死刑囚でありながら刑の執行が失敗して、精神科病棟にいる男を好演した。

 落語家でマルチタレントでもある鶴瓶の俳優としての評価は、かねてから高い。主演映画「おとうと」(09年)、「Dear Doctor」(同)では、日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。「ふしぎな岬の物語」(14年)でも、優秀助演男優賞を獲得している。

 そんな鶴瓶は昨年、芸人人生において最も大事な1人を失っている。所属する松竹芸能の元東京支社長で、芸能事務所・ステッカーの役員だった難波規精さんが逝去したのだ(享年55歳)。

「難波さんは、解散したオセロを発掘した有名マネージャー。同志社大学時代は、リングネーム“コズモ難波”で学生プロレスラーとしてリングに上がっており、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)で芸人からイジられ倒されていました。99年に、鶴瓶の担当マネだった千佐隆智さんが鶴瓶をマネージメントするために、『株式会社デンナーシステムズ』を設立。07年、オセロを解散した松嶋尚美の受け皿としてグループ傘下会社『株式会社ステッカー』が立ち上げられましたが、代表を務めたのが難波さんでした」(スポーツ紙記者)

 同社からはのちに、鶴瓶の長男で俳優・駿河太郎、女優・清野菜名といった役者が誕生している。

「ステッカーは役者色が濃くなりましたが、デンナーシステムズはかつて芸人色が濃い事務所でした。スギちゃんが『杉山えいじ』を名乗っていたころ、所属していました。またピン芸人・ゴー☆ジャスもいました」(前出・スポーツ紙記者)

 お笑いでも役者としても高い評価を得ている笑福亭鶴瓶。それを支えたのが難波規精さんだったことは間違いない。

(北村ともこ)

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