日本製鉄によるUSスチールの買収が漸く承認された。
昨年の大統領選挙中からトランプの反対、ハリスの同調が表明され、遂にはバイデンが退任間際に買収阻止を決定した。晩節を汚したポピュリズム的対応は嘆かわしい限りだ。
そんな経緯があるだけに、承認自体は慶賀の至りだ。
だが、結果オーライに流れてしまうのが日本人の悪い癖。今後の教訓を汲み取る観点から振り返ってみたい。
まず指摘すべきは、日本企業のインテリジェンス能力の改善だ。
表向きは国家安全保障事由があげられていたが、バイデン政権の閣僚で買収に反対したのが国防、国務長官ではなく通商代表であった事実が、保護主義が真の理由であることを裏付けている。トランプ政権も、USスチールが「アメリカの会社」であることに拘り続けた。
それが今の米国政治の現実であるならば、対峙する日本企業の備えは十分だったのか?
以前本欄でも言及したが、ワシントンで日米関係に携わる大方の関係者は、日本製鉄の対応に手厳しい。
「大統領選挙の年に、接戦州のペンシルバニアで『US』とか『スチール』といった語が社名に入った企業を買収するなど、政治センスなし」
「政治問題になってからマイク・ポンぺオ元国務長官をロビイストに雇って働きかけを始めたが、ポンぺオはトランプに敬遠されて第二期政権入りできなかった人物」
「米政府の承認が得られなかった際の違約金を日鉄が払うとの法外な条項を何故飲んだのか?800億円もの違約金を払わされる契約など尋常でない」
日本を代表する名門企業であれば、人脈と情報ネットワークを駆使してもっと上手く立ち回れただろうとの指摘は根強い。
より重要なのは、これだけ耳目を集め外交問題化した事案であるのに、政府の支援が十分であったかどうかだ。
率直に言って、中途時点までの日本政府の音無しの構えには、かつて北米二課長や経済局長としてしばしば日米経済紛争に砕身してきた身として、落胆と義憤を禁じ得なかった。
典型例は、2024年4月に岸田総理(当時)が米国議会で講演したにもかかわらず、買収を側面支援する発言をしなかったことだ。日本企業の対米直接投資が米国経済にもたらす利益を述べた一般論では弱すぎる。こうした及び腰が、その後の米側からの反対論続出につながったことは否定できまい。
最大の鉄鋼生産国となった中国が世界の鉄鋼生産を席巻しつつある今、日米の製鉄企業が力を合わせて鉄鋼産業を維持していくことの戦略的重要性、国家安全保障にとって不可欠の鉄鋼製品のサプライ・チェーンを強靭なものにしていく必要性、地元の雇用維持が配意されている点など、米国社会へのナラティブ(言説)を工夫して売り込む余地は十分にあった筈だ。
しかし、買収に係る事前の内報が直前までされなかったと噂された経済産業省だけでなく、外務省、さらには在米日本大使館のサポートの弱さは嘆かわしい限りだった。駐米大使には、米国メディアを梯子してでも訴えかけて欲しかった。
石破総理は当初「企業と企業との問題」と突き放していたが、日鉄のライバルであるクリーブランド・クリフス社の社長が記者会見で「日本は中国よりひどい」「日本は1945年以来何も学んでいない」などと日本全体を貶める暴言を吐いた時点で、立ち上がるべきだった。政府の出番だからだ。トランプとの首脳会談で取り上げたのは遅きに失したといえよう。
幸いトランプは豹変し、日鉄の巻き返しが功を奏した。だが、さらなる多額の対米投資がコストとして課されたことも事実だ。もっと安く上がる筈のディールだったのだ。
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、2000年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年駐豪大使に就任。23年末に退官。同志社大学特別客員教授等を務めつつ、外交評論家として活動中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)、「超辛口!『日中外交』」(Hanada新書)、「国家衰退を招いた日本外交の闇」(徳間書店)、「媚中 その驚愕の『真実』」(ワック)等がある。