イスラエルとイラン間の軍事的緊張が再び高まった6月。両国はミサイル攻撃や代理戦争を通じて激しい対立を繰り広げているが、歴史を振り返ると、1979年のイラン革命以前は驚くほど友好的な関係にあった。
79年以前、イランはパフラヴィー朝の下で親西側国家として知られ、イスラエルとは中東地域において特異な協力関係を築いていた。イランはイスラム教シーア派が多数を占める国であったが、シャー(国王)モハンマド・レザー・パフラヴィーの統治下では世俗的な政策が推進され、イスラエルとの経済的・軍事的連携が深まった。
両国は1950年代から非公式な同盟関係を築き、60年代には外交関係を強化。イスラエルはイランに農業技術やインフラ開発の支援を提供し、イランはイスラエルに石油を供給するなど、互恵的な関係が続いた。
特に、両国はアラブ諸国による反イスラエル感情の高まりに対抗するため、戦略的パートナーとして協力。イスラエルはイランの軍事力を強化するための技術支援を行い、情報機関モサドとイランのサヴァクは共同で諜報活動を展開した。この「周辺同盟」戦略は、両国がアラブ世界の敵対勢力に対抗するための基盤だった。
この蜜月関係の背景には、冷戦下の地政学的状況があった。イランはソ連の影響力を牽制するため米国と緊密な関係を築き、イスラエルもまた米国を後ろ盾とする同盟国としてイランを重宝した。70年代には、両国は共同で石油パイプライン事業を推進し、エイラートからアシュケロンに至るパイプラインを通じてイランの石油をイスラエル経由で欧州に輸出。経済的利益と戦略的協力が両国を結びつけていた。
しかし、79年のイラン革命は、この関係を一変させた。ホメイニー師の指導下で成立したイラン・イスラム共和国は、反米・反イスラエルを国是とし、イスラエルを「シオニスト政権」として敵視。革命後、イランのイスラエル大使館は閉鎖され、代わりにパレスチナ解放機構(PLO)に引き渡された。イランはヒズボラなどの反イスラエル武装勢力を支援し、イスラエルもイランへの敵対姿勢を強めた。
80年代のイラン・イラク戦争では、イスラエルはイラクを牽制するため一時的にイランに武器を供給するなど、複雑な動きも見られたが、基本的には敵対関係が定着。2000年代以降、イランの核開発問題が浮上すると、イスラエルはイランの核施設への攻撃を繰り返し、緊張はさらに高まった。
2025年6月の軍事衝突は、この長年の敵対関係の延長線上にある。イランはイスラエルへのミサイル攻撃を強化し、イスラエルも報復としてイランの軍事施設を標的に。両国の対立は中東全体の不安定化を招いている。しかし、1979年以前の協力関係を振り返ると、現在の敵対が歴史の必然ではなかったことがわかる。政治体制やイデオロギーの変化が、かつての盟友を宿敵に変えたのだ。今後、両国が再び対話の道を探る可能性は低いが、歴史の教訓は、敵対関係も永遠ではないことを示唆している。
(北島豊)