最近、外務省の後輩数名と相次いで懇談する機会があった。いずれの懇談も一対一のやりとりだったので、忌憚ない意見が開陳された。本人たちの魂の疼きを聞くようでもあった。
入省10年目の30代男性職員からは、キャリア組の4分の1、専門職の3分の1が既に退職してしまったとの窮状を聞かされた。
入省10年目と言えば、各課の首席事務官(他省庁でいう筆頭課長補佐)としてすべての書類を決裁する役回りにある働き盛りだ。そこでこれ程までの人材の空洞化が進んでいるのであれば、拙著「日本外交の劣化」(文藝春秋)で説明した外交の機能低下は避けられない。
青雲の志を抱いて外交当局の門を叩いたはずの人間が、何故ここまで大量に辞めてしまうのか?もちろん給与の低さ、過大な仕事量もあるだろうが、それは入省時から分かっていた話だ。
もっと重要な指摘に接した。40代前半のバリバリのキャリアウーマンは、こう訴えてきた。
「外務省の若手は『平凡であること』が求められます。平凡であるべしとの圧力を感じることもあります。とにかく黙って働き、自分の意見も言わずに上から言われたことをその通り効率よくこなし、馬車馬のように働くことが求められます。目立つことや、発信することもあまり良しとされません」
「このような空気を外務省の若手は感じ取り、どんどんと外交についての意見を持たなくなり、自己研鑽の意欲も失っていきます。外務省の若手よりも、外務省の面接に来る就活生の方が外交についての意見をいきいきと述べるなんて、おかしいと思いませんか」
「国会対応で朝まで働くブラック職場」などという皮相の話にとどまらない、もっと深刻な事態が進行しているといえよう。
要職にあって将来を期待されながら40代前半で外務省を去ったかつての部下からは、こう言われた。
「ロールモデルがいなくなったのです。局長と一緒に大臣室にレクに行った際、大臣に合わせようと汲々とする有様を見て、もう辞めようと思いました」
「新たな職場では、周りの人間の熱量と覇気が違います」
昭和59年(1984年)入省組の先頭を切って外務省を後にした私には、辞めようとする人間を止める手立てなど無いし、そんな立場にもない。実際、私自身も彼らと同じ年頃の時、「辞めてやる」と思ったことがある。そんな私でも、拙著「南半球便り」や「中国『戦狼外交』と闘う」で大使ポストのやり甲斐を克明に記したのは、我慢を重ねていけば「一隅を照らす」達成感を得ることができるのだと世代を越えて伝えたかったからだ。
しかしながら、上昇志向の強い本省幹部は在外勤務を忌避し、重要国ポストをあてがわれた大使連中は内に籠って対外発信に打って出ない。
これでは、若手の大量退職を止められるわけがない。「ワークライフ・バランス」などという矮小な次元にとどまらず、今一度「ノーブレス・オブリージュ」を自然に感じられるような働き甲斐を提示していくことが求められているのだ。
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、2000年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年駐豪大使に就任。23年末に退官。同志社大学特別客員教授等を務めつつ、外交評論家として活動中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)、「超辛口!『日中外交』」(Hanada新書)、「国家衰退を招いた日本外交の闇」(徳間書店)、「媚中 その驚愕の『真実』」(ワック)等がある。