「通算200勝」ダルビッシュ有が新庄監督に救われた日ハム時代“チーム内孤立”【AsageiBiz週間BEST】

 5月15日~21日の1週間にAsageiBIZで配信し、大反響を呼んだ記事をBEST8まで紹介する。第8位は、日米通算200勝を達成したパドレス・ダルビッシュ有にまつわる秘話。37歳にしてなお進化し続ける姿は後輩のよきお手本になっているが、20年前、日ハムに入団したての彼のイメージはだいぶ違っていた。(初公開は5月21日)

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 米・メジャーリーグ(MLB)パドレスのダルビッシュ有投手が5月19日(日本時間20日)のブレーブス戦で、野茂英雄氏(通算201勝)、黒田博樹氏(同203勝)に次いで史上3人目となる日米通算200勝を達成。7回99球2安打無失点という圧巻の投球で到達した。

 ダルビッシュは試合後、200勝について「特に実感はない」と言いつつも「NHKさんが大谷くんのやつ(中継)をやめてまでやってくだっさっているので、今日で何とか決めたかったという気持ちはありました」と安堵の本音も漏らしていた。

 2004年ドラフトで日本ハムから単独1位指名を受けて入団。高卒ドライチ投手として「松坂大輔以来の怪物」とその評価も絶大だったダルビッシュだが、高校卒業直前に写真誌によりパチンコ店で喫煙している様子が報じられ、「入団当初はサボることしか考えていなかった」(本人談)という素行の悪さばかり目立ち、ダーティーなイメージがついてしまった。当時を知る日本ハム担当記者によれば、

「日本ハムの場合、1軍の先発投手陣は登板日でなければ5回が終われば帰宅がOKでした。ダルビッシュの場合は何をするかわからないということで、9回まで球場に強制待機させられる日々を送っていました」

 そんなチーム内で孤立無援の状態のなか、「ゆうちゃん」と呼んで声をかけていたのが、メジャーから戻り2004年から日本ハムに在籍していた新庄剛志監督だった。食事に連れ出し、服装などに全く無頓着だったダルビッシュに対し「プロなんだからちゃんとしなきゃ!」と、洋服や遠征用のバッグなどを譲りフォローし続けた。ダルビッシュも当時について「サプリのイロハも全くしらなかった。すべて新庄さんに教えてもらった」と振り返っている。

「新庄監督は本気でダルビッシュにオファー出したこともありましたが、昨年2月にパドレスと42歳まで契約したことで、ひとまず消滅してしまいました」(夕刊紙記者)

 それでもダルビッシュと新庄監督の絆は切れていないだけに、晩年での「日本ハム電撃復帰!」も決して絵空事ではない。

(小田龍司)

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