著者は、これまで54年間にわたって日本の近代史を熱心に取材し続け、おびだだしい数に及ぶ著作を残してきた。この分野の偉大な先達である半藤一利氏が21年に没した後は、押しも押されもせぬ第一人者と言えよう。わたしも愛読者の1人であり、かなりの量を読んでいるのだが、本書には、また新しく教えられることが多かった。
というのも、明治、大正、昭和と連なる近代史の底流に存在する「地下水脈」を探るのがテーマだからだ。まず冒頭、明治維新後の日本がどのような国家になる可能性があったのか5つの視点から分析する。①欧米列強にならう帝国主義国家②欧米とは異なる道義的帝国主義国家 ③自由民権を軸にした民権国家 ④アメリカにならう連邦制国家 ⑤攘夷を貫く小日本国家。
つまり欧米に追いつくことによりアジアの国々との連帯を重視、国会を開き国民が政治参加、江戸時代の幕藩体制を土台に各地方ごとの主体性を認める、幕末の攘夷のように外国を排撃はしないが、領土の拡大や覇権獲得に走らないことになったかもしれなかったというのだ。まさに「歴史のIF」として極めて興味深いではないか。
そして、これらがなぜ実現せず、欧米列強にならう帝国主義国家になってしまったのかが明かされていく。そこでカギを握るのが「地下水脈」というわけだ。日清、日露の戦争を起こし、韓国を併合して朝鮮半島領有を図ったのは、遠く7世紀663年の「白村江の戦い」、16世紀1592年の豊臣秀吉による朝鮮出兵という過去の流れが、明治政府の政策に表れた結果と言われると腑に落ちる。
また、江戸時代の侍が藩士として殿様から給与を受けていた統治体制の「地下水脈」は、昭和戦前には職業軍人となり戦争勝利により得られる富を追求する「営利事業」としての軍国資本主義を形成し、戦後は終身雇用、年功序列のサラリーマンとなり経済成長を支えた。
欧米型の民主主義が根づかなかったのは、聖徳太子の「十七条憲法」以来の「和を以て貴しとなす」思想が「地下水脈」になり、明治天皇の五箇条の御誓文や明治憲法下の議会という形が生まれ、議会制民主主義が育たずにファシズムの台頭を許してしまった。天皇を神格化し対外強硬策で戦争を招いたのも、幕末の尊皇攘夷が「地下水脈」の役割を果たしている。
このように、近代日本がなぜ無謀な戦争へ至ったのかを、論理立てて示してくれる。それだけでなく、英明で平和主義だった大正天皇を権力から遠ざけた政府首脳陣の陰謀など、意外な史実も各所にちりばめられているのも見どころだ。
書名に「Ⅰ」とあるからには、続編も刊行されるのだろう。今から大いに楽しみだ。
《「近代日本の地下水脈Ⅰ 哲学なき軍事国家の悲劇」保阪正康・著/1056円(文春新書)》
寺脇研(てらわき・けん)52年福岡県生まれ。映画評論家、京都芸術大学客員教授。東大法学部卒。75年文部省入省。職業教育課長、広島県教育長、大臣官房審議官などを経て06年退官。「ロマンポルノの時代」「昭和アイドル映画の時代」、共著で「これからの日本、これからの教育」「この国の『公共』はどこへゆく」「教育鼎談 子どもたちの未来のために」など著書多数。