全国で初めて、完全な形の「太鼓形埴輪」が出土し、専門家の注目を集めている。
全体像を伝える世にも珍しい「太鼓形埴輪」が出土したのは、奈良県田原本町にある宮古平塚古墳。同古墳は昨年秋に確認されたばかりの新発見の古墳で、今年4月から田原本町教育委員会が発掘調査を行っていた。6世紀前半の築造だと考えられている。
「太鼓形埴輪」が出土したのは東側の周濠だったと思われる部分で、埴輪の大きさは、長さ28㎝、胴部の径25㎝、鼓径は両面とも17.5㎝。さらには、両鼓面には革を留める鋲を再現したと思われる線刻も確認できるという。
太鼓単体の埴輪は、これまで大阪府高槻市の今城塚古墳(6世紀前半)、宮崎県新富町の百足塚古墳(6世紀中ごろ)、和歌山県和歌山市の井辺八幡山古墳(6世紀前半)から出土した3例が知られているが、いずれも破片。今回、宮古平塚古墳から出土した「太鼓形埴輪」は完全な形のまま出土した初例で、当時の太鼓が現代の和太鼓とほぼ変わらぬ形であることがわかる、貴重な史料だ。少なくとも1500年もほぼ原型をとどめたまま今に伝わるというのは、楽器のなかでも稀有なものだと言える。
実際、日本における太鼓の歴史は古く、縄文時代後期(紀元前4000〜3000年ごろ)と思われる長野県茅野市の尖石遺跡から革を張った太鼓の土器が出土している。もちろん形は異なり、縄文土器に革をかぶせたような形だ。
では、いつごろから今の和太鼓のような形になったのか? 4世紀前半の築造と思われる群馬県前橋市の前方後円墳・前橋天神山古墳からは「太鼓を叩く人物埴輪」が出土していて、詳細はわかりにくいものの現代の和太鼓のようなフォルムの太鼓が見受けられる。『古事記』にも、「仲哀天皇の項」(4世紀中ごろか?)に「都豆美(つづみ=鼓)」という記述が初めて登場することから、4世紀ごろには原型ができていたのかもしれない。古墳時代の太鼓は、祭儀や軍楽器として用いられたと考えられている。
さらに興味深いのは、「太鼓形埴輪」が出土したのが宮古平塚古墳という点だ。前述した3例の太鼓破片が出土した古墳がいずれも前方後円墳なのに対し、宮古平塚古墳は一辺20m程度の方墳。首長クラスの有力者は前方後円墳に葬られるのが当時の通例だから、宮古平塚古墳の被葬者はそれほど“大物”ではなかったと考えられる。また、田原本町教育委員会によれば、周濠からは太鼓を置く台が出土する可能性もあり、被葬者は儀式などで太鼓を叩く仕事を担った人物かもしれないという。だとすれば、いわゆる“太鼓持ち”のような存在が、当時すでにいたことになる。まだまだ謎の多い古代の文化や風習を知るためにも、新たな発見に期待したい。
なお、宮古平塚古墳からの出土品は、今年8月31日まで唐古・鍵考古学ミュージアム(奈良県田原本町)で無料展示される。
(加賀新一郎)
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