「亜麻色の髪の乙女」を堂々熱唱!“ヴィレッジ・シンガーズ 清水道夫 ”なりすまし事件

 昭和歌謡のカバーブームの先駆けとなった、島谷ひとみの「亜麻色の髪の乙女」が流行したのは02年のこと。同年7月26日、おらが町にオリジナル歌唱メンバーが現れた。正体は、なりすましの常習犯。ただし、その手口は名人芸そのもので‥‥。

 この日は長野県北佐久郡御代田町「龍神まつり」の前夜祭。30周年の節目を記念したカラオケ大会には、町内から800人のギャラリーが詰めかけ盛況だった。

 駅前の特設ステージで、女子高校生2人が女性デュオ「花*花」の「あ〜よかった」を歌い終えるや、

「2人は高校2年生? きれいにハモッていてよかったですよ。でも、なんか少し自信がなかったのは、遠慮しちゃったのかな」

 淀みなくコメントするのは、司会者から「清水先生」と呼ばれる、審査委員長のコワモテ男。60年代後半に活躍したグループサウンズ「ヴィレッジ・シンガーズ」の清水道夫なのだと胸を張った。フィナーレでは代表曲「バラ色の雲」を披露して拍手喝采。観衆のアンコールに応えて「亜麻色の髪の乙女」も熱唱する。

「あまいろぉのぅ〜♪」

 と、花束片手にムーディーな歌声が夏の夜空に響き渡るのだった─。

「カラオケ大会の審査委員長を決める時に、商店会の役員から『この町に適任者がいる』と紹介されたのが清水さんをかたる男でした」

 録画ビデオを見返しながら、半ばあきれ顔で語るのは、当時の駅前商店街会長の石川伸一氏である。

「駅前のスナックに呼んで歌わせてみたら、めちゃくちゃうまいのよ。GSだからメンバーは5〜6人くらいいるでしょう。失礼ながら、清水さんの歌声をはっきり存じておりませんでした。まんまと本物だと信じ込んで、審査委員長をお願いしてしまいました」

 単なるニセモノなのだが、この男、なんと田舎のカラオケ大会をプロさながらにプロデュースしたという。

「まず、チラシにこだわった。『私を前面に出してもらってかまわない』と言って、『ザ・ヴィレッジ・シンガーズ 清水道夫先生』という文面を大きく打ち出しました。さらに、当日のプログラムも『カラオケで同じジャンルが続くと飽きるよ』って、さもプロみたいな指摘をするわけです。だから、ポップス、演歌、童謡が交互になるようプログラムを組みましたよ。あと、商店街のクーポンやテレビが景品の『お楽しみ抽選会』や子供たちが楽しめる『龍の鳴き声コンテスト』も彼の発案でしたね」

 前夜祭の模様は、石川氏が代表取締役社長を務める西軽井沢テレビが独占生中継。地域視聴率は90%を記録する大団円で終わった。

「とにかく、コメントのひとつひとつがプロ。前夜祭後、車座になってそのニセモノを取り囲み、夜通しステージの上で缶ビールを飲み明かしましたよ」

 だが、正体が明らかになるのにさほど時間はかからなかった。

「翌日の『龍神まつり』当日の夕方に、知り合いから一報が入ったんです。『シンちゃん! あの清水道夫はニセモノだ。たまたま清水さんとゴルフのラウンドを回ったことがある人がいて、事務所に電話で確認してもらったら違うって』と。聞けば駅前のスナックにいるというから、すぐさま駆けつけました。店のドアを開けたら、昨夜一緒に飲んだ男がうなだれて座っていたんです。開口一番『あんた、誰?』と尋ねたら、『ニセモノです』と力なく返答するのみで‥‥」

 駅前商店街で用立てた15万円のギャラを前払いしていた手前、すぐさま地元の佐久警察署に通報。さらに驚きの事実を聞かされることになる。

「結婚詐欺やなりすましの常習犯だったんです。『横浜銀蝿』のTAKUさんを名乗っていた時期もあった。プロっぽさを出すのも手慣れていたんでしょうね。支払ったギャラは全額返ってきましたが、警察署長の勧めもあって、マスコミを通じて被害を発表しました」

 以降、御代田町はダマされた町として連日、ワイドショーを賑わすことになる。そんな中、石川氏のもとに、ある意外な人物から連絡が入った。

「『亜麻色─』の作曲者であるすぎやまこういち先生から電話がありました。喜んでいいのか、ニセモノの歌声を『私のイメージした通りのメロディーで歌っている』とベタ褒め。それとなく『本物を呼べませんかね』と相談したところ、快く『協力しますよ』と言ってくださった。そのかいあって、なんと翌年の『龍神まつり』には、本物のヴィレッジ・シンガーズが来てくれたんです」

 ところが、万事めでたしでは終わらない。

「本物を呼んだギャラや当日の運営費は私がほとんど負担しました。金額にして1120万円ですよ(笑)」

 ニセモノのほうがコスパがよかった!?

*「週刊アサヒ芸能」12月16日号より

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