長年、巨人と広島で打撃コーチとして、数多くの選手を育て上げ、名伯楽として知られる内田順三氏。現在はプロから実業団へと活躍の場を変えながらも、人望は球界随一と言われる。かつてのチームメイトだった清原和博の更生にも手を差し伸べる「育成請負人」がスター選手たちの秘話を初めて明かした!
「今季の開幕戦では、実に喜ばしい出来事がありました。昨オフFAの人的補償でジャイアンツからDeNAに移籍した田中俊太(27)です。彼は、巨人時代に指導していたこともあって、活躍を期待していた1人。社会人出身で、俊足巧打のチームバッティングもできる器用な選手で一目置いていました。そんな田中が『7番・二塁』の開幕スタメンで、いきなり3安打6打点と大暴れしたことはアッパレのひと言です。
実は、移籍が決まったタイミングで田中から電話がかかってきて『絶対にチャンスが増えるから、頑張ってこいよ』と、背中を押したばかりだった。期待以上の活躍は今後も楽しみですね。関わった選手がレギュラーとして活躍するのはコーチ冥利に尽きます」
そう語るのは、現役時代を含めて、プロ野球最長となる50年連続でユニフォームを着続け、数々の一流選手を育てた内田順三氏(73)だ。指導者と して、巨人と広島での活動は通算37年に及んだ。いずれの球団でも、生え抜き選手を中心としたチーム編成に大きく貢献。球界屈指の人気球団に育て上げた。そんな内田氏の指導術を惜しげもなく、秘話を交えて紹介しているのが自著「打てる、伸びる!逆転の育成法」(廣済堂出版)だ。
中でも、目玉となっているのは、現在、更生に向けて再スタートを切った清原和博(53)との対談だ。96年オフに西武から移籍してきた清原は当時、「番長」と称される球界のトップスター。しかし成績は振るわず、97年、98年とチームが優勝を逃した「戦犯」としてバッシングされた。チームからも孤立していた状況に手を差し伸べたのは、2軍打撃コーチから1軍の打撃コーチに復帰したばかりの、他ならぬ内田氏だった。
「本格的に1軍の選手に関わるようになったのは、99年の宮崎春季キャンプからでした。キヨは宿舎の青島グランドホテルの宴会場の隅で一人、黙々と1時間ほどバットを振っていました。共同の自主トレ場所だったので、他のチームメイトはキヨに気を遣って時間をズラして素振りをしていたようです。そんな周囲の気遣いを、キヨ自身は露知らず。『なんで、ジャイアンツの選手は素振りをしないんだ』 なんて思っていたみたいですけどね(笑)」