吉田輝星を覚醒させた“苦学生捕手”異色の経歴「大学時代はアルバイトを」

 7月3日、日本ハムの吉田輝星投手がファーム戦で今季初勝利を挙げた。ストレート中心の力強い投球に「一昨年の夏の甲子園大会の勢いが戻ってきた」と評判も上々だが、その快投を演出したのはルーキー捕手だった。

 梅林優貴は入団1年目。大学4年間は中国地区大学野球連盟2部リーグ(当時)に加盟する広島文化学園大でプレーした。中央では無名だったが、広島県・高陽東高校時代から名将たちの間では一目を置かれていたという。

「高陽東高の監督が三原新二郎さんでした。三原監督は広陵、福井工大福井、京都外大西を渡り歩き、甲子園でも活躍された名将です。その三原監督が『肩が強い』『マジメ』と絶賛していたんです」(アマチュア野球担当記者)

 だが、他のエリート球児と異なる野球人生が始まったのは、大学に進んでからだった。

 授業終了後、野球部の練習をこなし、その後、トレーニングジムへ。ここまでは普通の体育会学生と同じだが、梅林はその後、深夜の清掃アルバイトをこなしていた。授業も休まなかったという。3年生になると、授業のコマ数も少なくなる。時間が空けば、アルバイトを掛け持ちした。

「野球の練習もしっかりやっていました。大学に入学した当初は体重60kgのヒョロヒョロでしたが、80kg台の逞しい体になりました。短い時間で効率よく、より効果的に練習することを考えてきたからです」(前出・記者)

 梅林には奨学金を学費に充てていた苦学生という一面もある。彼の下に妹がいるため、「家族に金銭面で迷惑を掛けたくない」と思い、アルバイトをこなしながら、学業と野球を両立させてきたのだそうだ。

 そんな“苦労人”のリードは強気だった。吉田はウィニング・ショットでストレートを投げ込んでいた。夏の甲子園で相手バッターを力でねじ伏せていたときと同じスタイルだった。ストレートの威力が蘇ったことも大きいが、吉田は最後まで自信を持って投げ込んでいた。

「梅林はずいぶん苦労した経験からか、もしくはアルバイト経験の豊富さからか、コミュニケーション能力の高い選手です。22歳とは思えないほどしっかりしているし、メディアの対応も上手です」(球団関係者)

 奨学金を借りた苦学生が就職できず、返済に苦しんでいる姿も社会ニュースとして伝えられている。梅林が活躍すれば、金銭的理由で夢を諦めてしまう若者への強いメッセージにもなるだろう。

 吉田投手も甲子園でヒーローとして脚光を集めるまではまったくの無名だった。「雑草魂」で夏の甲子園準優勝まで這い上がった秋田・金足農業高校出身のピッチャーと、ドラフト6位で指名された苦学生球児。このバッテリー、どうやら息が合うらしい。吉田を覚醒させるのは、苦学生の強肩捕手かもしれない。

(スポーツライター・飯山満)

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