4月下旬、「御報告」と題された文書が、全国各地の右翼団体に送付された。送り主は石川県を拠点に活動する右翼民族派団体・北陸民族青年会議の網渕里志議長。事の顛末を解説する前に、まずはその一部を引用したい。
《既にご存じの方もおられると思いますが民団(編集部注※在日本大韓民国民団)中央本部団長の金利中が今月三日の談話で尹奉吉追悼記念館に不賛同の意を発表しました》
《事実上の〝一旦の〟敗北宣言であるともいえましょう。これひとえに全国から抗議に集まった同志道兄の力によるものであって一金沢市民として一日本人としてそして陣営の末席を汚す一右翼として感謝の念を禁じ得ません》
在日本大韓民国民団への「勝利宣言」とも取れる内容だが、いったい何が起きたのか。事の発端は今年1月に発覚した、とある計画だった。関係者が語る。
「金沢市内において、戦前の運動家・尹奉吉(ユンボンギル※1908年~1932年)の『追悼記念館』が開館するとの情報が韓国メディアによって伝えられました。尹といえば、1932年4月29日に中国・上海で起きた天長節爆弾事件の実行犯。天長節の祝賀会場で爆弾テロを起こし、陸軍要人だけでなく民間人にも死傷者が出ました。尹はその後、軍法会議で死刑判決を受け、石川県金沢・三子牛山の陸軍作業場で銃殺刑となりました。あろうことか、計画の主導者は爆弾テロを起こした4月29日に記念館をオープンさせようとしていたのです」
不意に浮上した「尹奉吉・追悼記念館」の開設計画に、地元の北陸民族青年会議は猛反発。友好団体有志とともに、「尹は反日爆弾テロリスト」「追悼記念館はこの地に認めない」と主張し、反対運動を展開した。
「3月30日には、金沢市内におよそ80台の街宣車が集結し、街宣活動が行われました。車のナンバーを見るに、北陸や関東だけでなく、九州や四国からも有志が集まった模様。これほど多くの街宣車が石川県に集まるのは前例のないこと。石川県警が各所にバリケードを設置するなど、厳戒態勢を敷いたことも影響し、この日、金沢市内では大渋滞が発生。くしくもこの騒動が起きたことで、多くの金沢市民が『追悼記念館』の計画を知ることとなり、右翼に賛同する動きが見られました」(前出・関係者)
そして4月3日、在日本大韓民国民団中央本部は、「追悼記念館」開設について「到底賛同できない」との団長談話を発表。冒頭に記したように、反対運動を展開してきた北陸民族青年会議が「勝利宣言」を発するにいたったのだ。
網渕議長に話を聞いた。
「当初、市民からは『騒がしい右翼運動』と厳しい目を向けられていたかもしれません。しかし、『尹奉吉・追悼記念館』の設置に反対する声は、徐々に地域の住民に広まっていきました。先日、30以上の町会で構成される地元の町会連合会で、過半数が記念館設置への反対を正式決定したのも心強い。住民運動に発展したことで、大きな目的のひとつは果たしたと言えますし、これ以上の抗議活動は市民の平穏を妨げることになる。文書に書いたとおり、抗議活動はこれでいったん取りやめますが、民団側が鬼謀を仕掛けてくることも考えられるので、監視活動は静かに続けていく所存です」
金沢市にひと時の平穏が訪れた。