「パワハラ」を指弾されて辞任に追い込まれた斎藤元彦兵庫県知事が再選され、世論の注目を集めている。主要紙には、「斎藤知事を擁護するSNS上の声が、同知事のパワハラを糾弾してきた主要メディアの論調に打ち勝った」とする分析と同時に、「SNS上には実証されていない情報が氾濫しており、注意深く選択しなければならない」などと訳知り顔で語る「有識者」のコメントも掲載されている。果たして「主要メディア」で流されている情報は実証されているのか?鼻白む人間が絶えないことだろう。
それに加えて、今回の顛末を見ていて想起したのは、ここ数年、日本社会全体、とりわけ外務省において喧しく騒がれてきた「パワハラ、セクハラに気をつけましょう」というお経や呪文にも似た説諭だ。
ある経済官庁から大使に任命された人物は、任国への赴任前に外務事務次官室に挨拶に行った際、当然自分が赴任する任国と日本との関係についての心構えや戦略論を外務事務当局の最高責任者から聞けるだろうと期待していた由である。ところが、そんな次元の高い話は一切なく、「パワハラ、セクハラに気をつけましょう」との趣旨を記した一枚紙を投げるように次官から渡されたことに幻滅し、憤慨したという。
ある安全保障官庁から意気込んで途上国に赴任した大使は、緊張感が弛緩し士気の停滞した大使館員に対して発破をかけ続けたところ、週末に仕事の指示を出したことなどを問題視した部下から「パワハラ」との「刺し」(内部通報)に遭い、多いに心労を重ねた。一部部下の離反以上にもっとも同大使を失望させたのは、同人に対して当時の外務次官が「部下の指導などしなくてよい」と言い切ったことだという。
和気藹藹とした職場の雰囲気醸成・維持を最上とし、厳しい指導など不要、さらには部下の育成などに高い優先順位を置かない風潮が、今の外務省を席巻している。かつてもてはやされたノブレス・オブリージュなどというエリートとしての心がけは、ワーク・ライフ・バランスというブルーカラー的な掛け声にとって代られた。
霞が関を離れて日本有数の大手法律事務所に転職した今、新卒の弁護士に対する法律事務所での研修や指導の方が、新卒の外交官に対する外務研修所での研修や外務本省での指導よりも厳しいのではないか、と受け止めている。
高い士気と能力を誇った一線級の人材が次々に外交の現場を離れ、後を引き継いだ次世代は意欲、能力共に劣る。そんなレベルの人材集団に対し、組織による経験に基づき工夫を重ねた研修も施されなければ、上司や先輩による時に厳しく熱い指導も行われない。こんな状態では、日本外交の劣化は止められるわけが無いだろう。
APECやG20首脳会合での石破茂総理の唖然とするような立ち居振る舞いが世論の厳しい批判を集めている。岩屋外相を始め自民党政治家の間では、外務省のサポート体制の拡充を求める声も聞かれる。だが、いくら外交素人の政治家に対してであっても、自らでさえ実施できていないことを人に「サポート」することなど土台無理と悟るべきである。病巣は根深いのだ。
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)がある。