前駐豪大使・山上信吾が日本外交の舞台裏を抉る!~クリスマス・キャロルが流れる頃には…~

 六本木の街角のそこかしこにクリスマス・キャロルが鳴りわたる季節を迎えた。けやき坂のネオンは例年になく燦然と輝いて見える。この時期になると思い出すのは、駐豪大使時代に何百枚と書いたクリスマス・カードだ。退官した今、もはや書く必要がないと思うと、随分と気が楽になる。私がキャンベラにいた当時も徐々に電子カードが増えつつあったが、彩鮮やかなハードコピーのカードの人気もまだまだ根強かった。

 極めて有能で心優しかった日本大使秘書のニコルはいつも「サインマシーンを使ったら」と気遣ってくれた。でも、豪州社会要路との人的関係構築に心を砕いていた私には、何となく自分の万年筆の肉筆でサインすることがこの上もなく大切なことに思われ、ペンだこができるほど愚直なまでにサインを重ねたものだ。

 そんな行いを積み重ねてきた身には、他人から受け取るカードを見る目にもちょっとした拘りがでてくるものだ。本人の直筆のサインがあるのか?何か一言書き添えてあるのか?が気になる。

 私が付き合いを深めたオーストラリア連邦政府の閣僚の中には、多忙を極めているにもかかわらず、自筆のサインのみならず気の利いた一言を書き添えてくる人が少なくなかった。そうしたきめ細かな気配りには大いに感じ入ったものだ。

 人と人との交わりからなる外交にあっては、こうしたカードや書簡のやりとりが果たす役割は小さくない。約15年前にロンドンに駐在していた頃、ケンジントンにある政務公使公邸で設宴をするたび、招客となった英国人インテリの大半から後日実に丁重な礼状が届けられることに強い印象を覚えた。タイプ打ちではなく手書きで書かれた礼状ほど、本人の謝意が直に伝わってきた。ホストとしては、おもてなしをした甲斐があったと感じたものだ。礼状のいくつかは非常に洗練されており英語の言い回しも気が利いていたので、今なお保管してある。

 皮肉なことに、外国大使館に呼ばれ慣れていたはずの英国外務省の人間ほど、財界人、情報機関職員、軍人に比べ、そうした英国社会に根付いている社交マナーを順守できていない向きが多かったように記憶している。だが、周到な準備をしておもてなしをした立場から言えば、書簡はおろかメールでさえ反応が伝えられてこないと、いささか暖簾に腕押しで残念な気持ちがしたことは否めなかった。

 ひるがえって、今の日本外交官はどうだろうか?きちんとした礼状が書けているのだろうか?

 そもそも「内交官」がはびこり在外勤務にさえ腰が引けている人間が少なくないこと、多くの外務官僚のメールでのレスポンスさえ芳しくないことを思うと、心もとない気がする。身内の先輩や同輩に対してさえメールで迅速に対応できていないとすれば、外国政府や在留邦人への対応が満足いくものであるか、到底自信が持てない。

 外交官の主要任務である情報収集、対外発信の基礎には人的関係の構築があることに思いを致せば、こうした血の通った「挨拶」こそ、すべての出発点であると確信している。

●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)、「歴史戦と外交戦」(ワニブックス)がある。

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