12球団で唯一勝ち星がなかった中日が4月2月、本拠地開幕戦で最高のスタートを切った。阿部巨人を相手に延長11回、細川成也外野手の本塁打により4-3でサヨナラ勝ち。立浪和義監督は「1つ勝つまでは重たいところがあったけど、去年と今年は違うんですよ。最高の勝ち方で本拠地スタートできた」と胸を張っていた。
3年契約とはいえ、中日史上初となる2年連続最下位ながら異例の続投となった立浪監督。地元紙までにも散々叩かれ続けられてきた「ドラゴンズの監督」もまた、初めてである。ただ、顔に似合わず熱血漢で、「若い時に我慢をしないとろくなプロ野球選手にならない」とはっきり口にする。
立浪監督にとって現役時代に薫陶を受けた故・星野仙一さんの影響は大きく、自身、「高卒入団の自分をすぐに使ってくれた星野さんには感謝しかない。『ユニホームは戦闘服なんだぞ』という言葉は今も忘れられない」と言う。
その現役時代は選手会長、プロ野球選手会の理事長、労組副会長といったキャリアを積み、2022年に満を辞しての中日の監督に就任した。この2年間の成績が散々だったため、ファンからも「とっとと辞めろ!」というブーイングの嵐が鳴り止まないが、そんな中でも本人は涼しい顔である。
立浪監督の人柄を表す、PL学園時代の同期・片岡篤史ヘッドコーチとのこんなエピソードがある。
「高校時代、片岡ヘッドがPLの厳しい練習を続けられるかどうか落ち込んでいると立浪監督は『野球ごときで悩んでどうする、明日朝から一緒にグラウンド周りの掃除をしよう』と、2人で早朝5時半から清掃をしたそうです。また、清原(和博氏)を本気で今季から打撃コーチに招聘しようとしていました。さすがに中日グループが拒否したようですが、とにかくPL野球部愛は相当なものがあり、人望も厚い」(中日担当記者)
2011年の東日本大震災ではシャワーコンテナを寄贈するなどボランティア活動にも精力的で「立浪監督が辞めるなら辞める」という中日のフロントも実は多い。だからこその続投なわけだが、親しい関係者には「3年は我慢しなきゃ強いドラゴンズは帰ってこない」と話し続けてきたという立浪監督。まさに今季は勝負の3年目だが、その自信は「去年と今年は違う」の言葉に表れているのかもしれない。
(小田龍司)