宮迫博之が激白「松田優作に会いたくて芸人になった」/俺たちの70年代ドラマ(1)

 お笑い芸人・宮迫博之(53)誕生のきっかけは、実はあの名作ドラマだった。青春時代を彩り、人生の道しるべともなった70年代ドラマへの熱き思いをぶちまけてもらった。

──俳優として数多くのドラマ作品に出演しているが、そもそも当初は役者志望だったとか?

宮迫 松田優作さんの「探偵物語」(79〜80年、日本テレビ系)がなかったら、芸能界に入っていなかったです。小学生の頃に観て、あの世界観の中にどうしても入りたいと思った。その方法はわからないままでしたが、高校を卒業する時、「やっぱり松田優作さんに会いたい」とまだ思っていて。

──そして、NSC(吉本総合芸能学院)に入学した。

宮迫 当時はビートたけしさんや明石家さんまさんなど、芸人が映画やドラマに進出していて、「そういう道筋もあるんだな」と。ちょうど養成所のチラシを親戚のおばちゃんにもらって、これもありだと。

──役者を目指す手段として「NSC」に入った?

宮迫 そうですね。結果的には大変な世界だったので、お笑いに集中するようになりましたけど。

──それほどまでにのめり込んだ「探偵物語」の魅力とは?

宮迫 まず工藤俊作というキャラクターが、 3枚目なのに格好いいというところ。 殴られてもちょっと文句を言う間があって倒れていくとか、劇中で「何だ、その芝居?」と言われた相手が素で謝ってしまったりとか、おそらくアドリブであろうシーンがたくさんあった。ドラマを観て初めて笑った作品です。いちいち演出がシャレていましたよね。とにかく予告編まで面白かった。優作さんが「来週はハズレ回だから観なくていいぞ」みたいなことを言ったりしてたな。

──工藤俊作から大きな影響を受けた。

宮迫 そうですね。当時は劇中で工藤が乗っている「ベスパ」がメッチャ流行って、自分も「乗りたい!」と。でも、実際に最初に買えたバイクは「ジョグ」でした。ベスパは高すぎて買えなくて。

──俳優としてオファーも来るようになったが、優作さんとはお会いできた?

宮迫 会えていないんですよ。映画「ブラック・レイン」(89年、UIP)のオーディションがあったんですよね。ところが会社から「受けられるのは吉本新喜劇まで」と言われて、養成所のメンバーは参加できなかったんです。新喜劇のメンバーがエキストラでけっこう出演しているんですけど、本当にショックでした。

──優作さんを追いかけて、ついには届かなかった。

宮迫 東京に出て来てから、1人で〝松田優作ツアー〟もやりました。働かれていたバーなどを回って、生前のお話を聞くんです。でも、ほとんどの方が「会わない方がよかったよ」って。メチャクチャな方だったみたいで。(優作夫人の松田)美由紀さんにかわいがってもらっていた時期があるんですけど、最終的には美由紀さんからも「会わない方がよかった」って(笑)。

──優作さんがジーパン刑事として出演していた「太陽にほえろ!」(72〜86年、日テレ系)も観ていた?

宮迫 ずっと殉職シーンをマネしていましたよ。「なんじゃこりゃあ!」って。

(つづく)

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