王貞治氏が福岡ダイエーホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)の監督を務めたのは95年から。この年、元広島の高橋慶彦氏が一軍打撃・走塁コーチに就任。ダイエー日本一の礎を築いた。
しかしながら、王氏にとって高橋氏は、実は「2番手」だったようだ。最初に声をかけたのは、中日、西武、阪神のセ・パ3球団を渡り歩き、中日時代に3度の最多安打(当時は連盟表彰なし)に輝いた、田尾安志氏だったという。
これは、8月4日に高橋氏のYouTubeチャンネル〈よしひこチャンネル〉に出演した田尾氏みずから明かしたものだ。
「王さん監督で(高橋氏が)バッティングコーチ行った時、あの時ね、実はボクに最初(話が)来てたのよ。知ってる?」(田尾氏)
「知らない…」(高橋氏)
「あの当時、うちは子供にお金がかかる時期で、バッティングコーチの給料だけではね、オレやっていけないかなって思って、王さんに『家庭の事情で今回はありがたい話だけど』って言って、お断りしたことがあるの。で、誰がバッティングコーチになるのかなって見てたら…」(田尾氏)
「2番手かあ…」
自虐的にそう語ってスタッフの笑いを誘った高橋氏だったが、そこで田尾氏はこう尋ねるのだ。
「で、聞きたかったんだけど、いくらもらってたの?」
「いくらだったら行ってたの?」(高橋氏)
「少なくても3×××万は欲しかった」(田尾氏)
字幕は伏字だったが「3000万」と聞き取れるようにも思える。高橋氏が「田尾さんだったら出てましたよ」と言うと田尾氏は「だったら行ってもよかったかなあ。失礼だと思って金額は聞かないでお断りしちゃったのよ」と述懐するのだった。
田尾バッティングコーチによる王政権。見てみたかった気もするが…。
(所ひで/ユーチューブライター)