鳩山由紀夫「共和党」に中国が急接近【2】長年にわたる諜報活動が…

 12年に発覚した李春光事件だ。外交官資格を持つ中国の工作員が日本で立件された初めてのケースとして、世界的にも注目を集めた。それとともに長年にわたる巧妙な諜報活動が白日のもとにさらされたのだ。

 李春光は、中国軍の情報部門である総参謀部(現在は中央軍事委員会聯合参謀部)、その諜報工作活動を担っている第二部に所属する工作員とされる。88年から数年間、在日中国大使館に出向したことを機に日本での活動を開始したという。

 93年には、河南省洛陽市職員に身分を偽装し、再来日。同市の友好都市となっていた福島県須賀川市の「日中友好協会」の国際交流員として長期間滞在。その間、福島県を地盤に国政に出た民主党の玄葉光一郎氏の選挙を手伝うなどするうち、民主党台頭の気配を読み取ったとみられている。

 李は99年、今度は中国政府のシンクタンクである「中国社会科学院」の日本研究所副主任の身分で来日すると、民主党の主要メンバーを輩出した政治塾「松下政経塾」の特別塾生となり、政界人脈を育んだ。

 それから10年余の月日が流れ、民主党政権下で李は暗躍する。10年、当時の鹿野道彦農水大臣、筒井信隆農水副大臣らが中心となって、日本の農産物の中国への輸出を促進すべく、非公式な勉強会が立ち上げられた。「農林水産業輸出産業化研究会」という名称で、農水省官僚や中国系シンクタンク関係者らが参加。そこに李も中国大使館の一等書記官の立場で紛れ込んでいたのである。

 その勉強会で親交を深めた鹿野氏とは個別にホテルで会食するようになる。一方、筒井氏に対しても、副大臣室に入室できるほど接近した。また、このグループに属する秘書たちにも浸透していく。

 とりわけ懇意な関係を築き上げたのは、勉強会の実務を取り仕切った秘書である。この秘書は11年7月、勉強会が社団法人「農産物等中国輸出促進協議会」へと衣替えした際、代表理事に収まっている。

 社団は、その後、中国への輸出サポート団体として活動を始めるが、その過程で、この秘書は農林水産省の機密文書を入手する。米の需給見通しに関わる文書や在外公館とやりとりした公電など、その数は20点近くにも及んだ。

 公電などが、なぜ輸出サポート事業に必要なのか‥‥と、農林水産省側は首をひねったが、それどころではなかったのが、警視庁外事課だった。というのも、前々から李の動向を追っていたからだ。外事課の網に李が引っかかったのは05年に遡る。同年、外事課は、自衛隊の潜水艦技術に関する情報漏洩事件の捜査に注力していたが、その捜査線上に浮上したのが李であった。

 当時、李は中国に戻っていたが、情報漏洩した防衛庁(当時)技術研究本部の元技官らが訪中し、面会したのが李当人であるとみられた。そのため、数年後に李が在日中国大使館員として日本に戻ると、厳しい監視下に置いていたのだ。

 その最中、機密文書を手にした秘書と李が頻繁に接触していることが判明。外事課は色めき立った。李が社団の事業を利用して、当時、政府内で前向きに検討されつつあったTPP(環太平洋経済連携協定)への方針決定をはじめ、機密性の高い政府情報を入手しようとしていたことがわかったからだ。
 
 とはいえ、政権と近い秘書、ましてや大臣や副大臣から事情聴取するわけにもいかない。文書の受け渡しもなかなか押さえられず、その間にも、情報漏洩は続いていた‥‥。

 12年5月、外事課はついに別の容疑で李に出頭要請をかけた。虚偽の身分で外国人登録証を取得し、銀行口座を開設していたことに着目し、公正証書原本不実記載の疑いがあるとしたのである。実質的なスパイ摘発だった。が、外交官身分を盾に李は出頭を拒否。帰国してしまったのだった。

時任兼作(ジャーナリスト)

*「週刊アサヒ芸能」7月21日号掲載、【3】につづく

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