お笑い芸人にとって憧れの番組に「アメトーーク!」(テレビ朝日系)がある。解散した雨上がり決死隊の関東進出後の初冠番組だった。「○○芸人」というくくり言葉をはやらせ、テッパンコンテンツも増えたが、そのひとつにプロレスがある。番組のエグゼクティブプロデューサーで演出家の加地倫三氏が、かつて新日本プロレスやプロレスバラエティ「リングの魂」のスタッフだったことも大きい。
プロレス好きの有名芸人は多いが、それがコンビ結成のきっかけになった例も。くりぃむしちゅーはそんな1組。有田哲平は16年からAmazon Prime Videoで、「有田と週刊プロレスと」を定期的に配信。専門誌「週刊プロレス」をテーマに、プロレスから学ぶべき人生訓を伝授してきた(すでに終了)。
相方の上田晋也との仲を深めたのも、プロレスだ。
「上田も学生時代にプロレス記者になりたかったほど好きでした。有田とは高校のラグビー部の仲間で、初めて交わした会話は『聞いたけどプロレス好きなの? (アントニオ)猪木と前田(日明)どっちが強いと思う?』だったそうです」(芸能関係者)
くりぃむ(デビュー時は「海砂利水魚」)がデビューした翌92年に芸人になったケンドーコバヤシは、プロレスと切っても切れない芸人人生だ。そもそも芸名の由来が、悪役レスラーとして一時代を築いたペイントレスラーのケンドー・ナガサキ。ナガサキはケンカ最強説が持ち上がったことがあり、ケンコバは‶噂が先立つキャラ”にあこがれて「ケンドー」を拝借した。
「最初は、元ハリガネロックのユウキロックと組んだ『松口VS小林』というコンビでした。2人して大のプロレスファン。ドロップキックでツッコんだり、互いにプロレス技を掛け合ったりするマニアックネタでした。解散後、同期の村越周司と『モストデンジャラスコンビ』を結成。このあとピン芸人に転向したのですが、元新日本の山本小鉄さんをネタにして、とことんプロレス愛を貫きました」(芸能ライター)
ケンコバは、福岡発で新日本を主としたプロレスバラエティ「ケンドーコバヤシのギブアップまで待ってみる!」(九州朝日放送)を担当している。不定期放送ながらも、選手にプライベートや禁断トークで迫っている。
94年に結成したタカアンドトシも、タカとトシがそろってプロレスファン。中学2年生のときにトシがタカの通う中学校に転校してきて、共通の趣味を通じて仲良くなった。プロレスがなければ、人見知りで根暗な2人が距離を縮めることはなかったかもしれない。
こうしたプロレス系芸人が、現在のバラエティ業界を担っていると言っても過言ではないだろう。
(北村ともこ)