まさかこんな形で久しぶりにその名を聞くことになるとは…。11月30日、留置先の警視庁・東京湾岸署から釈放された演歌歌手の小金沢昇司(62)。押しかけた報道陣の前で、頭を下げるも横に付き添っていた弁護士から「もっと!」と促されて再び長々とお辞儀する姿がワイドショーでオンエアされた。
小金沢は11月28日昼頃、都内の環状7号線を運転中、信号待ちのトラックに追突。駆けつけた警察官が、呼気検査したところ、基準値を超えるアルコールが検出されたため、酒気帯び運転で逮捕された。
「取り調べに対し、小金沢は『当日の午前中に酒を飲んだ。仮眠をとったがアルコールが抜けなかった』と供述していますが、幸いケガ人が出なかったものの、元TOKIOの山口達也(48)、俳優・伊藤健太郎(23)と、運転がらみの不祥事が続いている最中ですからね。世間からのバッシングもさることながら、仕事関係に与える印象は最悪でしょうね」(芸能記者)
小金沢の下積み時代は長い。それまで無名だった小金沢が突然ブレイクしたのは92年、34歳の時だ。
「この年の8月、喉薬『フィニッシュコーワ』のCMに起用されたことがきっかけです。CMは渡辺篤史のナレーションで、『歌手の小金沢君が使っているのはフィニッシュコーワ』と紹介するのですが、もちろん、当時の小金沢はヒット曲などない、ところが、『歌手の~』というフレーズが逆に視聴者の興味をそそり、発売元の興和には『彼は何者なの?』『本当に歌手なの?』という問い合わせが殺到。結果、それが大きな話題になり、人気に火がついたというわけです」(前出・芸能記者)
小金沢はその年の「流行語大賞」の大衆部門で銀賞を獲得。その後は、バラエティ番組や雑誌等のインタビューなどに引っ張りだこになったが、そんな小金沢がしばしば語っていたのが「酒」と「喧嘩」にまつわる武勇伝だった。
「彼は神奈川県大和市出身で、子供のころから空手を習っていたこともあり、腕っぷしが強く、中学時代は『裏番』だったのだとか。さらに高校時代にはバイクのスピード違反で何度も捕まり、本人曰く『神奈川県一帯の警察署のほとんどに、母親が僕を引き取りに来ていた』といいますからね。地元でもそのやんちゃぶりは有名だったようです」(前出・芸能記者)
高校卒業後は、一時期、家業のラーメン屋を手伝っていたものの、22歳の頃に歌手を志し、レストランに住み込みで働きながら「これが最後の賭け」と決心して、北島音楽事務所に飛び込み、付き人になったことが、歌手になる第一歩だったと言われる。
そういう意味では、CMでのブレイクは彼にとって、まさにジャパニーズドリームだったに違いない。だが、順風満帆な日々もそう長くは続かなかった。
「結局売れたのは、CMでブレイクした時に35万枚のヒットとなった『おまえだけ』のみで、その後はパッとしなかった。もちろん紅白に出場したこともありません。当時から酒豪として知られる反面、失敗談も多く、師匠の北島さんからは再三、『酒には気をつけろ!』と言われていたそうです。14年には北島事務所からのれん分けという形をとって独立し、その頃から酒量が増えたと言われていますからね。止める人がいなくなり、酒量をコントロールできなくなっていたのかもしれませんが、今回の事故の代償は大きいでしょうね」(前出・芸能記者)
師匠の言いつけを守らなかった代償はあまりに大きかった!?
(灯倫太郎)