お笑い芸人「海外進出」ブームの先駆けは松本人志だった!

 海外で活躍するアスリートが増えたからだろうか、お笑い芸人にも海の向こうを目指す人たちが増えている。記憶に新しいところでは、野性爆弾・くっきー。お笑いではなくアーティストとして海外で高い評価を得ている。個性あふれる絵画や造形物を展示した個展は東京のみならず、台湾でも成功を収めた。

 2013年、絵本の原画展を米国ニューヨークで開催したのは、キングコング・西野亮廣だ。2015年には「西野亮廣独演会 in ニューヨーク」を開き、スタンダップコメディというスタイルで腕を試している。

 単独ライブを開催したのは、陣内智則。米国ロサンゼルス、韓国、ラスベガスで実績を積んだ。「キングオブコント」と「M-1グランプリ」のファイナリストであるジャルジャルは、ロンドンで単独ライブを開いている。

 中堅芸人の彼らが海外進出に踏み切る前、いち早く海を渡っていたのがダウンタウンの松本人志だ。松本はテレビのバラエティ番組を通じてアメリカに進出している。

「2001年のこと、『進ぬ!電波少年』(日本テレビ系)で海外進出しています。『電波少年的 松本人志のアメリカ人を笑わしに行こう』という企画でした。アメリカで、自分の笑いがどこまで通用するかを試みるもので、まずは『夢で逢えたら』(フジテレビ系)で共演して、公私ともに親しかった野沢直子にアドバイスをもらいました。野沢は絶頂期の91年、活動拠点をアメリカに移した先輩だったからです」(テレビ誌ライター)

 ロサンゼルスで、完全オリジナルの短編映画『佐助(SASUKE)』を撮影。松本自身が、留守番をしている少年のもとに登場するベビーシッターの忍者役として出演した。編集と試写を7回も繰り返した同作には、お笑いのセオリーのひとつである天丼(ボケを繰り返す)、ボケとツッコミを入れた。

「仕掛けたのは、電波少年シリーズのブームを巻き起こしたTプロデューサー(土屋敏男氏)。それなりに受けたのですが、2人が思っていたほどではなかったようで、続編が作られることはありませんでした」(前出・テレビ誌ライター)

 松本にとっては思い出したくない過去かもしれない。だが、中堅芸人にとっては松本の挑戦が心のどこかにあり、海外志向へとつながっているのかもしれない。

(北村ともこ)

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