「ハーフ美女」30年の系譜(3)ベッキー凋落でバラエティ界の椅子取りゲーム

 75年に初来日したアグネス・ラムは、アメリカ・中国・ポルトガルなどをルーツに持つハーフ美女だった。まだ「グラドル」という言葉もなかった時代だが、日本中の男たちが魅了され、伝説となった。

 それから約30年後の06年、「アグネス・ラムの再来」とも「グラビア界の黒船」とも称されて来日したのがリア・ディゾンだった。キュートなルックスながら、透けショットも辞さない思い切りの良さで、あっという間にブレイク。紅白歌合戦に出場するほどだったが、結婚(のちに離婚)までのスピードも想定外に早かった。

 昨年はトリンドル玲奈が、スレンダーな体に不釣り合いな胸の渓谷を「フライデー」の表紙で見せつけた。バラエティでも人気のゆきぽよは、自慢のヒップラインを見せつける写真集で、高い評価を得ている。

 一方、音楽界の歴史をたどると、60年代から80年代には、ハーフの歌手がヒットチャートにたびたび登場した。山本リンダの「どうにもとまらない」(72年)や、アン・ルイスの「六本木心中」(85年)などは、わかりやすいケースだ。

 そしてミレニアムを経て、音楽ジャンルの多様化もあり、ハーフ歌手の進出はさらに拍車がかかった。トリニダード・トバゴの血を引く青山テルマは、04年に「そばにいるね」が大ヒット。当時の「着うた」では、史上最高のダウンロードを記録している。モデルのような体型のアンジェラ・アキは、06年から6年連続で紅白歌合戦に出場した。

 そして04年に歌手デビューした木村カエラは、09年に発表した「Butterfly」が自身最高に認知度の高い1曲に。さらに、「アナと雪の女王」(14年)のテーマ曲をカバーしたMay.Jも、大きく注目された。

 最後はバラエティ部門。

 16年1月、ベッキーは「ゲスの極み乙女。」のフロントマンである川谷絵音との不貞が発覚。活動休止の状態に入ったのは周知の通りだが、ここで誰よりもあわてたのは、同じ「サンミュージック」に所属する若手芸人たちだった。ベッキーが事務所収入のトップを稼ぎ出していたことは間違いなく、万が一、芸能界を去ってしまったら会社存亡の危機とおびえてしまったのである。

 やがてベッキーは芸能活動を再開したが、バラエティの世界には「ハーフ枠」があり、その椅子を巡って美女たちがバトルする。

 現在、格上として一目置かれているのはSHERRYだ。モデルのビジュアルに豪放磊落なキャラクターというミスマッチが受け、日々、フル稼働の状態。もうひとり、売れっ子を挙げるなら、“にこるん”こと藤田ニコルだろう。特に街ロケは得意で、老若男女を癒やす笑顔を降りそそいでいる。

 さて、令和にはどんな「国民的ハーフ」が誕生するだろうか。

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