清原の息子の練習にも立ち会った/内田順三が激白「スター選手秘話」(2)

「キヨについては、事前に古巣である西武の関係者から情報収集していたんです。そこで『欠点のオーバーティーチング』と『人前でパフォーマンスのように指導される』の2点を嫌っていると聞いていたので、毎日離れた場所からコーヒーを片手にキヨのスイングを観察していました。終わったあとに『キヨ、ご苦労さん』と声がけしても無視。私がどんなコーチなのかを探っていたのでしょう。これは憶測ですが、仲の良かった金本知憲(53)に、私の広島時代の情報を聞いていたんじゃないかな」

 ひと言も言葉を交わすことなく観察した日々が8日間続いた。すると9日目に、清原の方から「僕のスイングどうですか」と、尋ねてきた。

「心の中で『しめた!』と思いましたね。まず、キヨが取り組んでいたバットの始動位置や軌道、ヒザの使い方を全肯定しました。間違ってないと。この日を境に、キヨに助言を求められる機会が増えました」

 清原との交流は、内田氏が03年に広島の打撃コーチに就任するまで続いた。結果的に、01年には、自己最多の121打点を挙げるなど、一定の成果を収めたが、清原は度重なるケガに悩まされ、06年にオリックスに移籍。そのまま08年に現役を引退した。

 それから時を経て、二人が再会したのは、19年12月に開催された「ワールドトライアウト2019」だった。清原は16年5月に覚せい剤取締法違反で有罪判決を受け、20年6月に執行猶予が満了。再起を期すイベントの当日だった。

「『キヨ、元気か』と、イベントが始まる前に30~40分程度、話をしました。そこで更生にかける並々ならぬ姿勢が垣間見えた。その場では、次男に野球を教えていることも打ち明けられました。一流バッターのキヨでも、身内である息子にさえ、野球を教える難しさを感じていた。キヨの求めもあって、彼と息子の練習に3回ほど立ち合いました。現役時代からの気付きをまとめたメモ帳を持参して、キヨのアドバイスに生かしてもらっています。学生指導資格を取得してアマチュア野球の指導者を目指すキヨの一助になれば幸いではないでしょうか」

スポーツ