「巨額詐欺男」がハマった「オンナとカネ」無間地獄(6)逮捕前に預けた「18億円」の行方

 齋藤氏が黒崎氏を信用したのは、乱交の一夜を共にしたからだけではなかった。この頃、当局の追及を前に、もはや齋藤氏は自首か逃亡、もしくは自殺か、選択肢は3つしか残されていない状態になっていた。

「結果、私は逃亡を選ぶのですが、当時の妻に『この人だけは信用できる』と黒崎を紹介していました。そして、出国前日に黒崎は都内の高級中華料理店で見送りの食事会を催してくれました。そこに、何と黒崎は自分の奥さんと生まれたばかりのお子さんを伴って現れたのです。これから逃亡する人間と会うのに、普通なら自分の家族は遠ざけておきたいものでしょう。これで、すっかり信用してしまいました」(齋藤氏)

 海外逃亡の手配はもちろん、騙し取った資金まで黒崎氏に委ねることになる。齋藤氏は現金だけでなく、逃亡前に不動産や株式などを現金化してもらい、累計約18億円を黒崎氏に預けた。地下銀行経由でスイスのPBに送られているものと思い込んでいたという。

 こうして、齋藤氏はグアムから香港へと逃走を続けるが、3カ月弱で逃亡生活は終わりを告げた。香港の警察に身柄を拘束され、観念して日本に帰国した08年6月15日、齋藤氏は逮捕される。警視庁捜査2課に続いて東京地検特捜部の取り調べの日々が始まった。

 しかし、齋藤氏は騙し取った資金の行方について口を割ることはなかった。黒崎氏の名前を出して自供を迫る捜査員には黙秘を貫いたという。それは、公判が始まってからも変わることはなく、裁判官の心証を悪くしたに違いない。

 09年9月、東京地裁で懲役15年・罰金500万円の判決が下される。非常に重い量刑だったが、齋藤氏は控訴することはなかった。

「これ以上、晒し者になるのはゴメンだ」

 という思いだったという。そして、長野刑務所で服役生活に入った。黒崎氏は2回ほど面会に訪れたという。それゆえ、齋藤氏は預けた金は口座に保管されているものと信じていた。

 ところが、出所後に黒崎氏に会いに行くと‥‥。

「預けた金の運用をすべて任せていた黒崎の右腕のような人物が死亡してしまい、『どうなったかわからない』と彼は言い出したのです。その時、金を返す気はないと直感しました。そして、私の頭をよぎったのは『ネコババ』、いや彼は『クロサギ』だったのかというものでした」(齋藤氏)

 詐欺師を騙す詐欺師をクロサギと呼ぶ。齋藤氏が自著で「黒崎」という仮名を与えた理由は、ここにあったのだ。同書で齋藤氏は、

〈罪を償うとは、罪を背負い続けること〉

 と記している。服役で贖罪は終わらず、むしろシャバで初めて罪の重さを実感することが償いだと悟ったという。それだけに、黒崎氏を許すことができないのだろう。今後もクロサギとの対決は続きそうだ。

齋藤栄功(さいとう・しげのり)1962年、長野県生まれ。86年に中央大学法学部を卒業後、山一證券に入社。同社の自主廃業後に信用組合、外資系証券会社を経て、医療経営コンサル会社「アスクレピオス」を創業する。08年に詐欺とインサイダー取引容疑で逮捕され、その後に懲役15年の判決を受けて長野刑務所に服役。22年に仮釈放された。

*週刊アサヒ芸能10月10日号掲載

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